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福岡地方裁判所小倉支部 昭和40年(ヨ)497号 判決 1970年6月30日

申請人 氏家豊成 外一名

被申請人 門司信用金庫

主文

申請人両名が被申請人に対し労働契約上の地位を有することを仮に定める。

被申請人は、昭和四〇年一二月一日から申請人氏家豊成に対し毎月金三万四、二五一円を、申請人小橋紀一に対し毎月金五万五、六一二円をそれぞれその月の二〇日までに支払え。

申請費用は、被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一、申請人両名

主文同旨。

二、被申請人

本件申請を却下する。

申請費用は、申請人両名の負担とする。

第二申請の理由

一、被保全権利

(一)  被申請金庫は、北九州市門司区東本町に本部、本店、同区原町、桜町、小森江、大里、葛葉に各支店、同区藤松に出張所をそれぞれ置き、預金、貸付その他信用金庫法に定める業務を営む金融機関で、その従業員は約一二〇名である。

(二)  申請人氏家は昭和三二年四月一日、申請人小橋は昭和二九年四月二二日それぞれ被申請金庫に職員として雇傭されたものである。

(三)  申請人氏家は、被申請金庫から平均賃金月額税込み金三万四、二五一円(昭和三九年一一月二一日から昭和四〇年一一月二〇日までの間に被申請金庫から支払を受けた賃金総額は、税込み金四一万一、一一二円であつたから、その一二分の一を平均賃金とする。)の、申請人小橋は平均賃金月額税込み金五万五、六一二円(昭和三九年一一月二一日から昭和四〇年一一月二〇日までの間に被申請金庫から支払を受けた賃金総額は、税込み金六六万七、三五五円であつたから、その一二分の一を平均賃金とする。)の各支払を毎月二〇日受領していた。

(四)  しかるに、被申請金庫は、申請人両名に対し昭和四〇年一一月二〇日付をもつて就業規則に基づき解雇したと称して、申請人両名との労働契約関係の存在を否定し、申請人両名が労務の提供をなすも、その受領を拒否し、昭和四〇年一二月一日以降の賃金の支払を拒否している。

二、保全の必要性

(一)  地位保全の必要性

申請人両名は、いずれも被申請金庫において職務に従事したい気持を有しているにもかかわらず、被申請金庫によつて従業員たる地位を否認されることは、このことのみによつても、労働者たる申請人両名の不利益、苦痛が大であることは明らかである。

(二)  賃金支払の必要性

申請人両名は、いずれも被申請金庫から支払を受ける賃金のみによつて各申請人およびその妻子の生計を維持している。

(三)  結論

以上のような次第であるから、申請人両名は被申請金庫を相手として労働契約上の地位確認および賃金支払請求の訴を提起すべく準備中であるが、本案判決の確定をまつては回復し難い損害を蒙るおそれがあるので、本件仮処分申請に及んだ。

第三申請の理由に対する被申請人の認否および主張

一、認否

一の(一)および(二)の事実は認める。

一の(三)の事実中、申請人両名に対する賃金の支払日が毎月二〇日であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。申請人氏家の賃金月額は税込み三万四、八〇〇円であり、申請人小橋の賃金月額は税込み金四万〇、五〇〇円であつた。

一の(四)の事実中、申請人両名が昭和四〇年一一月二一日以降被申請金庫に対し労務を提供したことは否認するが、その余の事実は認める。

二の事実は否認する。本件仮処分申請は必要性を欠くものである。すなわち、被申請金庫は、昭和四〇年一二月二七日申請人氏家に対し退職金四二万七、一四七円および解雇予告手当金二万六、七〇〇円を、申請人小橋に対し退職金七三万四、五六一円および解雇予告手当金三万七、〇〇〇円を弁済供託しているし、申請人両名は失業保険も受領している。しかも、被申請金庫は申請人両名を解雇するにあたり、特に配慮して懲戒解雇とせず、普通解雇としたので、申請人両名の再就職に何等支障はないはずである。

二、被申請人の主張

(一)  解雇理由

被申請金庫が申請人両名を解雇したのは、左記理由に基づくものであつて、到底申請人両名との雇傭契約の継続が困難であつたことによるものである。

(1) 原町事件

申請人氏家は、門司信用金庫労働組合(以下労組という。)執行委員長であり、申請人小橋は同副執行委員長であるところ、申請人両名は、昭和三九年一〇月六日労組員多数を指揮して、被申請金庫原町支店に大挙押しかけ、職場交渉に藉口して同支店長中野利治を吊し上げたが、かような場合申請人両名は労組員の行き過ぎた言動を制止すべきにかかわらず、逆にこれを煽動し、ついに労組員日野三千人、木村昌稔らと共に同支店長に対する集団威迫暴行行為をし被申請金庫の職場秩序を破壊した。そもそも、申請人両名は、同日右のように同支店に赴く直前まで本部において被申請金庫と正規の団体交渉をしていたのであるから、労使間で協定した団体交渉ルールに従い、労組として原町支店長中野利治に事実確認を求める必要性があるならば、右団体交渉の席上その旨被申請金庫側に申し出て、被申請金庫を通して同支店長に確認を求めるべきにもかかわらず、これをしないで、右本部での団体交渉終了後、出し抜けに同支店に赴き右のような行為に及んだものである。

そこで、被申請金庫は昭和三九年一一月四日付をもつて就業規則に基づき申請人両名を懲戒処分に処した。

しかるに、同年一〇月一四日労組員日野三千人、木村昌稔が右暴行事件の被疑者として逮捕されるや、申請人両名は、労組員、支援団体等を動員して、右事件は被申請金庫と警察共謀のデツチ上げ事件である等と被申請金庫と警察を誹謗する文書を一般市民に配付させ、あるいは被申請金庫本支店の正面玄関横に立看板を立ててこれに右同様誹謗文を掲示させ、さらに被害者たる支店長を逆に攻撃する文書を配付あるいは立看板に掲示させ、長期にわたり反復して被申請金庫およびその経営者、職制を中傷誹謗し、その信用と名誉を著しく毀損した。

(2) 貯金箱事件

労組は、第二次争議中の昭和三八年八月一日頃から貯金箱と称する三角錐の三面に「金庫のガンを除け」、「不当処分反対」、「不当差別反対」、「金庫民主化」等と被申請金庫を中傷誹謗する文言を記入して、これを各労組員の机の上に立てる争議戦術を実施したが、右戦術は、来客に異様感、不安感を与え、ひいては預金を差し控えさせる業務妨害行為であり、また被申請金庫の施設管理権をも侵害(就業規則第七条第一三号は所属長の許可なく被申請金庫の施設を職務以外の目的で使用することを禁じている。)する違法なものであるから、被申請金庫は同月三日、一〇日、二七日の三回にわたり書面で労組に右貯金箱の撤去方を要求したにもかかわらず、労組は撤去しなかつた。そこで、被申請金庫は、やむをえず昭和三八年八月二七日各労組員の納得を得てこれを撤収し、警察官立会のうえ保管したが、第二次争議は昭和三八年一一月二三日終結し、和解協定の成立によつて、右貯金箱撤収問題は解決済となつていた。

しかるに、労組が昭和三九年二月から第三次争議に入り、同年一〇月六日原町事件が発生し、中野支店長が日野、木村両名を告訴するや、労組ないし門信労を守る共闘会議(以下共闘会議という。)は、これに対する報復として、既に一年以上経過した適法かつ解決済の被申請金庫管理職による貯金箱撤収を取り上げ、申請人両名ら右共闘会議主要メンバー一三名は、同年一〇月二七日午前一一時頃秘かに右撤収を強盗、強盗未遂、恐喝、窃盗被疑事件として被申請金庫理事長三浦実次、常務理事森川卓馬外管理職九名を告発し、刑罰を受けしめんとしたが(検察官は昭和四〇年九月三〇日右事件を嫌疑なしとして不起訴処分に付した。)申請人両名の右告発は悪質な誣告行為であり、司直の手を藉りて被申請金庫業務を妨害混乱させたものである。

しかも、申請人両名は自らは右告発をしておきながら、これを秘匿し、被申請金庫に対し同日午後一時より開かれた団体交渉において日野、木村両名に対する告訴取り下げを要求するという陰険極まりない方法をとつた。

さらに、申請人両名は、右告発に関して事実を歪曲して、これを新聞、文書、立看板等により世間に流布し、被申請金庫の信用およびその理事長、管理職の名誉を著しく毀損した。

これらの行為は、雇傭契約が信頼関係を基とするものであるにもかかわらず、この信頼関係を根底から破壊するもので、雇傭契約の存続を困難ならしめる行為であつた。

(3) オリンピツク記念銀貨事件

昭和三九年一〇月二日のオリンピツク記念一、〇〇〇円銀貨の第一次店頭交換に先立ち、桜町支店長、大里支店長は、各店従業員から得意先から銀貨を優先的に廻してほしい旨の要望があるから、要望枚数を店頭交換銀貨から控除してほしいという進言を受け、やむをえず理事長等上司にはからずに、右交換当日銀貨の一部を店頭交換に廻さなかつた(桜町支店においては交換責任者である申請人小橋が同支店長指示枚数以上の銀貨を交換に廻さなかつた。)が、申請人両名は、右各店従業員としてその間の事情を知悉し、特に申請人小橋は桜町支店長代理として自ら同支店長に前記進言をしたのであるから、申請人両名が善意で従業員たる立場を考える者であれば、事を荒立てず、事前に経営者に事実を通報し、これを是正させれば足りるのに、逆に申請人両名は、第二次交換日の前日である同月二八日銀貨の交換にあたり被申請金庫の経営者、幹部が銀貨を隠匿し横流しした等と事実を歪曲して日本銀行北九州支店に申告するとともに、その旨各新聞に掲載せしめ、ビラ、立看板等により一般に公表し、金融機関の最も重んずる信用を失墜させ著しく名誉を毀損した。

(4) 総代会事件

申請人両名は、労組員、支援団体などを動員して、昭和四〇年五月九日被申請金庫総代会開催に先だつ同年四月一五日各総代宛に文書を送付させ、さらに総代会当日会場前で総代に文書を配付させたが、その内容は被申請金庫の経営者を無能呼ばわりし、またあたかも不正行為をしているなどと書き立て、経営者を中傷誹謗し、その名誉と被申請金庫の信用を毀損し、最高決議機関たる総代会を混乱に陥れようとしたもので、被申請金庫の経営秩序をみだすものであつた。

(5) 第三者誹謗

申請人両名は、労組員、支援団体などを指揮動員して、労使関係の当事者でない第三者である警察、労働基準監督署および地方労働委員会等をビラ、立看板を用いて誹謗非難し、前記告発事件が不起訴となるや、検察当局をも非難するなど社会人として許されない行為を敢行した。

(6) 立看板、赤旗掲揚

申請人両名は、被申請金庫所有の敷地建物の使用については、その許可を要するにもかかわらず、被申請金庫の数次にわたる注意、通告、警告を無視し、恣意にその敷地建物内において赤旗、立看板を立て、それらを格納する等の行為を繰り返して、被申請金庫の施設管理権を侵害し、職場秩序をみだし、しかも右立看板の内容は被申請金庫の信用およびその経営者の名誉を毀損するものであつた。

(7) タイムレコーダー打刻拒否等

申請人両名は、被申請金庫が昭和四〇年八月一六日から実施したタイムレコーダーの打刻を拒否し遅刻早退にあたつての所定手続を拒否し、また昭和三九年一〇月七日から実施した所定の名札佩用をも拒否するなど業務非協力の態度に出て業務命令に違反した。

(二)  解雇手続

以上の申請人両名の一連の行為は、労働組合活動としても個人の行為としても明らかに正当性を欠く逸脱した行為であり、信頼関係を基調とする雇傭契約の継続を困難ならしめる行為であるから、被申請金庫は、本来申請人両名に就業規則所定の懲戒規定を適用して懲戒解雇に処すべきところ、申請人両名の年令、家庭、将来の就職等あらゆる点を考慮し、右懲戒解雇規定を適用せず、特に就業規則第二六条第三号の「已むを得ない事業上の都合によるとき」の規定を適用して、すなわち従業員として適せず、雇傭契約の継続が困難であることを理由に、普通解雇することとし、昭和四〇年一一月二〇日申請人両名にそれぞれ前記解雇理由を記載した解雇通告書を手渡し、申請人氏家に対する退職金四二万七、一四七円、解雇予告手当金二万六、七〇〇円、申請人小橋に対する退職金七三万四、五六一円、解雇予告手当金三万七、〇〇〇円は受領されなかつたので、これを昭和四〇年一二月二七日弁済供託した。

第四被申請人の主張に対する申請人両名の認否および主張

一、認否

(一)  解雇理由について

(1) 原町事件について

申請人氏家が門司信労組の執行委員長であり、申請人小橋が同副執行委員長であること、被申請人主張の日時、場所において申請人両名が他の労組員と共に原町支店長中野利治のなした出納保管金の取扱いおよび差別取扱い等に関して事実の確認とその善処方を求めて同支店長に団体交渉の申し入れをして話し合いをしようとしたこと、申請人両名が被申請人主張のように懲戒処分を受けたことは認めるが、同支店長に対し被申請人主張の如く集団威迫暴行行為をしたことは否認する。共闘会議が右事件につき日野、木村両名に対して被申請金庫側および捜査機関のとつた措置を批判する文書を配付し、看板を立てたことは認めるが、その内容が被申請金庫の信用と名誉を毀損するものであつたことは否認する。

現に右事件について公訴を提起された日野三千人、木村昌稔両名に対する刑事事件において、第一審、第二審裁判所共に申請人両名らの団体交渉申入れを正当なものと評価して右両名に対し無罪の判決をなし、該判決は確定し、日野、木村両名が被申請金庫から受けた懲戒解雇処分に対しても、右処分を無効とする仮処分判決が確定し、さらに申請人両名らが右事件によつて被申請金庫から受けた出勤停止処分等に対しても、中央労働委員会は正当な組合活動として右処分の取消を命じている。申請人両名らの原町事件における団体交渉は、これら公的機関により再三にわたり承認されている如く正当な組合活動であつたにもかかわらず、被申請金庫はこれを違法行為と歪曲し解雇理由としているもので、その主張は到底理由なきものというべきである。

前記のとおり申請人両名らが中野支店長に団体交渉を申入れたのは正当な組合活動であり、同支店長がこれを拒否したのは労組の団体交渉権を侵害する違法な行為というべきである。しかるに、中野支店長が申請人両名らの正当な団体交渉申入れを違法なものとして告訴をし(同支店長は被申請金庫理事室で告訴状を作成した。)、捜査機関もこれを違法として日野、木村両名を逮捕し、被申請金庫から団体交渉の場でその回答を呑めば右両名に対する告訴を取下げてやる旨の発言がなされ、右両名が起訴され、ついに右両名が被申請金庫から懲戒解雇されるに至つたのであるから、申請人両名としては、被申請金庫側および捜査機関の右一連の措置を正当な組合活動に対する弾圧と判断し、正副委員長として団結を擁護するため、その非を訴え組織の強化と正当な組合活動に対する不当な弾圧を排除する目的で、文書を配付し立看板を公示したことは、とりもなおさず正当な組合活動として是認さるべき行為であり、被申請人の主張は自己の非を申請人両名らに転嫁するものというべきであり、その理由のないことは明白である。

(2) 貯金箱事件について

申請人両名らが被申請人主張のとおり貯金箱撤収事件について告発したこと、右事件が不起訴処分となつたこと、右告発内容を共闘会議が立看板で公示したことは認めるが、右告発内容が被申請人主張の内容であること、右立看板の内容が被申請金庫の信用およびその経営者等の名誉を毀損するものであることは否認する。

労組は、昭和三八年三月ごろから賃上げ五、〇〇〇円要求を求め、さらに同年六月から労組員土井啓司の解雇処分撤回を要求し、第二次争議に入り、その手段として三角錐貯金箱を各労組員の机上に置き、一般来客に対して情宣と支援を求めた。ところで、かかる争議手段の適法性であるが、一般に労働組合の行う宣伝活動は、本来その集団性維持のための不可欠条件として意義をもち、ことに争議時にあつては所属組合員の階級意識昴揚による組織維持や使用者の不当性をつくことによる示威および一般労働者の連帯感情に訴える支援要請などの目的に向けられ、その基本的な争議行動であると同時に団結活動として意義を有し、かかる争議行為が適法であることは異論がない。問題はその正当性の限界であるが、本件三角錐貯金箱の各面に書かれた文書は殆んど全部「金庫民主化」、「勝利の日までがんばるぞ」、「不当処分反対」等の労働者の団結維持、団体交渉要求内容であつて、適法なものというべく、たまたま「金庫のがんを追い出せ」という文面があつたとしても、労組主張の正当性を裏づけ、被申請金庫の態度の不当性を主張することであり、被申請金庫の経営方針、労務管理は、労働条件の維持向上と不可分のものである以上、右程度の批判をもつて直ちに労組の争議手段として正当性を欠くものとすることはできないし、右貯金箱を机の上に置くことにより事務の遂行が著しく阻害されたわけでもない。したがつて、申請人らの行つた貯金箱戦術は、正当かつ適法な組合活動であつたものである。かように貯金箱設置行為は、適法な労組の表現活動であるにも拘らず、被申請金庫は管理権の侵害と強弁し、撤去に応じない組合員を懲戒処分に付する旨の業務命令を発し、さらには実力をもつてこれを撤収するという違法行為をなしたものであり、これら業務命令および実力撤収は、労組の正当な活動に対する支配介入等の不当労働行為というほかはない。

そこで、かかる違法な実力撤収の行為について申請人両名らが告発したことは、何ら違法と目される筋合いはない。右告発について検察審査会は、申請人両名らおよび労組の前記貯金箱設置行為を正当な組合活動と断じ、被申請金庫のなした実力撤収を違法と認定し、告発の正当性を承認しているものである。

したがつて、この解雇理由は、被申請金庫のなした不当労働行為に対してなした申請人両名らの正当な行為をもつてその理由とするというもので、解雇理由自体が被申請金庫の不当労働行為に該当するというべきである。

(3) オリンピツク記念銀貨事件について

共闘会議が被申請人主張の銀貨の交換に関し被申請金庫の一部幹部が不正取扱いをなした疑があるとして日本銀行北九州支店に調査方の申告をしたこと、右調査結果をビラ、立看板で公示したことは認める。

しかしながら、被申請金庫管理者が、日銀の指示に反し、一部銀貨を交換せずに隠匿したことは疑の余地がない。そこで、右被申請金庫管理者の不正行為について申請人両名らが日本銀行北九州支店にこの旨申告しあるいは新聞社の質問に応じて説明したことが、被申請金庫の信用を失墜させる違法な行為と評価さるべきであるかについてみるに、この事件の発生した昭和三九年一〇月二八日当時労組は第二次争議中であり、とりわけオリンピツク記念銀貨の支店長取扱い等をめぐつて発生した原町事件により労組員日野、木村両名が逮捕されるという異常な状態にあつた。労組および申請人両名は、被申請金庫のかかる不当な組合活動弾圧に対し、自己の組織とその主張の正当性を訴えるためにも、被申請金庫が記念銀貨の交換という公共性の強い業務遂行についてすらも自己の企業の利益追求にのみ奔走し、一部幹部の独断で公共性を無視し、一部顧客の便宜をはかるという独善経営をなしていることを明らかにし、かかる被申請金庫の経営方針により申請人両名らの組合活動が圧殺され、労働条件の改善がなされないことを訴えたもので、単に被申請金庫を陥れ経営破壊を唯一の目的としたものでなく、被申請金庫の不正行為が真実である以上、仮にそのため被申請金庫の信用が若干失墜するとしても、右申告等は適法な争議手段というべく、これをもつて解雇理由とすることは許されないというべきである。

(4) 総代会事件について

昭和四〇年五月九日被申請金庫の総代会が開催されたこと、申請人両名が右当日および同年四月一五日総代に文書を送付または配付したことは認めるが、その内容が、被申請金庫の経営者を中傷誹謗し、その名誉と被申請金庫の信用を毀損し、総代会を混乱に陥れようとしたものであることは否認する。

労組が昭和四〇年四月一五日各総代宛に文書を送付し、さらに同年五月九日総代会当日会場前で総代に文書を配付したのは、労働組合の表現活動として許容される適法な行為である。すなわち、被申請金庫総代会は被申請金庫の最高決議機関であり、ここにおいて理事が選出され、経営者の刷新が行われることになつているから、申請人両名らが、労組の名において、昭和三八年以来の争議の実情と経営者の経営方針、労務管理の欠点を指摘し、総代会のメンバーたる総代に対し被申請金庫の実情を宣伝するため、文書を配付することは、その方法においてなんら違法というべきではない。

被申請人は、右文書において被申請金庫の経営者を無能呼ばわりし、かつあたかも不正行為をなしている旨書き立てその信用と名誉を毀損した旨主張するが、右文書において労組の主張している事実は、従来から労組が要求していた項目であり、その要求の根拠と正当性、その裏返しとして被申請金庫の経営の不当性、特に双信化学、門司ロープウエイの不正貸付の事実を踏まえ、それを暴露することなくえん曲に表現し、総代が正しく事実を認識し、争議解決のため尽力されんことを要望しているにすぎず、これらの経営方針の放漫さによつて労組員の労働条件が改善されないことを訴えているもので、その内容においてもなんら違法と評価さるべき組合活動ではない。

かかる組合の正当活動を解雇理由とすること自体不当労働行為というべきである。

(5) 第三者誹謗について

共闘会議が警察、労働基準監督署、地方労働委員会のあり方について批判的文書を公示したことは認めるが、右行為が社会人として許されない行為である旨の主張は否認する。

共闘会議は、警察、検察庁が原町事件につき日野、木村両名に対してとつた処置に関してビラ配付等をしたが、その内容は、同事件における労組の団体交渉申入れの正当性を訴え、組合の正当な活動に対する弾圧として警察、検察庁の措置を批判し、労組の組織の維持を目的とするための宣伝活動であり、通常の組合活動として是認される範囲を逸脱するものではなく、とりわけ右事件に起因して被申請金庫から右両名が懲戒解雇を受けるという緊急事態において、この程度の批判を情宣として行うことは適法である。現に右事件は前記のとおり無罪判決がその後確定している事実に照し、逮捕、起訴当時共闘会議ひいては労組が右の程度の批判を公にし、その支援を求めたことは不当とする理由はないものというべきである。

労働基準監督署に対する批判は、労働基準監督署が日野、木村両名の懲戒解雇について除外認定をなすにつき、右両名に対しなんら弁明の機会を与えず、被申請金庫の主張通り除外認定をなすという不当な措置に対し、労働者の地位の不安を感じ、労組、共闘会議として労働者の法的保護を求めてなした正当な抗議声明であり、被申請金庫がこのことを解雇理由とすること自体違法不当といわざるをえない。労働委員会の措置に対する批判は、労組が、被申請金庫の不当処分や不当労働行為の救済を地労委に求め、その迅速な審理を期待していたにも拘らず、数年もかかる審理に焦立ちを感じ、さらに併合によつて生ずる審理遅延に抗議し、審理促進を要望するに至つたもので、なんら理由のない批判ではなかつたものであり、労働組合としては組織の崩壊を防衛し、早急に審理結果のなされることを要望してなされた正当な組合活動というべきである。

(6) 立看板、赤旗掲揚について

労組または共闘会議が被申請金庫所有の敷地内に赤旗、立看板を立てたことは認めるが、右行為は正当な組合活動として行つたものである。

被申請人の主張によつても赤旗、立看板は来客の出入りを阻害したり、業務の遂行を妨害する態様のものではなく、単に赤旗は金融機関にはなじまないとか、顧客に不快感を与えるというだけである。しかし、争議時において組合がその示威の象徴として赤旗を掲げ、情宣活動として立看板をたてることは、許された組合活動であり、立看板の文面の内容にしても、とりたてて違法視さるべきものがないことは明白である。被申請金庫はこれら正当な組合活動としてなされた赤旗、立看板等を実力をもつて撤収する等の不当労働行為を敢えてし、その非を悟らないほどに組合活動を嫌悪しているくらいである。

(7) タイムレコーダー打刻拒否等について

申請人両名が被申請人主張のようにタイムレコーダーの打刻、遅刻早退にあたつての所定手続、所定の名札佩用を拒否していたことは認める。

右拒否は、労組が被申請金庫の要求する右各行為が労働条件の変更にあたり、その変更は当然団体交渉事項であるとして団体交渉に応ずるように被申請金庫に申入れたにも拘らず、被申請金庫がこれを拒否しているため、団体交渉でその解決をみるまで被申請金庫の右各行為の要求を拒否するとの労組の闘争指令に基づいてなしているものである。特にタイムレコーダー打刻拒否は、従来午前九時までに出勤すれば遅刻の取扱いを受けず、一七時前でも自己の担当業務が終了すれば退出しても早退にならない取扱いを受けていたにも拘らず、被申請金庫がこれら従業員に有利な長年の慣行を無視し、一方的に八時四五分以後は一分でも遅れると遅刻の取扱いをすると主張し、その方策としてタイムレコーダーの導入をなしたことに対し、かかる取扱いの変更につき団体交渉の申入れをなすもこれを拒否したため、労組としては、団体交渉によつて、かかる遅刻、早退の取扱いの変更に関し取決めをなすまでタイムレコーダー打刻拒否の争議を行つたものであり、申請人両名が労組の争議指令に従つたことは、違法というべきではない。現に地労委より打刻拒否が不当と判断されるや、申請人両名は打刻に応じている。被申請金庫が労組と誠意をもつて団体交渉に応じていれば、かかる争議手段をとる必要はなかつたものであり、右争議手段は被申請金庫に対し誠意ある団体交渉を求めるためになされた正当な手段といわざるをえない。

(二)  解雇手続について

申請人主張のとおり申請人両名が本件解雇の通知を受けたが、退職金、解雇予告手当を受領しなかつたので、被申請金庫がこれを供託したことは認めるが、その余の事実は否認する。

被申請人の主張する解雇理由事実は、前述のとおり申請人両名の個人行為ではなく、いずれも申請人両名の属する労組の争議行為について申請人両名個人を問責しているものであり、右争議行為は、いずれも前記のとおり正当かつ適法な争議行為であり、解雇理由に該当しないことは明白である。

二、申請人両名の主張

(一)  不当労働行為

被申請金庫が申請人両名に対してなした本件解雇は、申請人両名が労働組合の組合員であり、かつ労働組合の正当なる争議行為等の組合活動をしたことを理由としてなしたものであり、労働組合法第七条第一号に違反し、民法第九〇条に該当するものであるから無効である。

(1) 申請人両名の地位および組合活動

(イ) 申請人氏家は、被申請金庫従業員をもつて労組を結成するにあたり、その準備委員として中心的役割を果し、昭和三七年四月一二日労組が結成されるや、現在に至るまで執行委員長を歴任している。他方昭和三八年一〇月七日から昭和四〇年九月二六日まで上部団体である全国信用金庫信用組合労働組合連合会(以下全信労という。)中央執行委員をつとめ、昭和四〇年九月二六日から現在に至るまで全信労中央執行副委員長をつとめている。また昭和三八年一〇月一五日から現在に至るまで全信労九州地方協議会議長を、昭和三八年三月五日から現在に至るまで門司地区金融共闘会議事務局長をそれぞれ務めている。

(ロ) 申請人小橋も、同じく労組結成にあたりその準備委員として中心的役割を果し、労組が結成されるや、現在に至るまで執行副委員長を歴任している。他方昭和三九年九月から現在に至るまで門司地区労働組合協議会(以下地区労という。)常任委員をつとめ、昭和三九年三月から現在に至るまで門司勤労者学習協会常任理事をつとめている。

(ハ) 労組結成以来申請人両名は、一貫して正副執行委員長として、昭和三七年四月一二日から同年七月四日に至る八四日間に亘る賃上げおよび労働協約闘争(以上第一次争議)、昭和三八年二月二日組合分裂に伴う被申請金庫の労組に対する切崩し、組織破壊、不当差別反対闘争、同年六月労組中央委員土井啓司に対する労働協約無視の一方的解雇に反対する闘争、同年春闘争賃上げ要求に対する被申請金庫の既得権剥奪による差別賃金に反対する闘争、同年九月被申請金庫による就業規則の一方的改悪に反対する闘争(以上第二次争議)、同年一一月被申請金庫による労働協約の一方的破棄に反対する闘争、昭和三九年春闘賃上げ要求に対する被申請金庫の一方的人事考課制の導入に反対する闘争、同年一〇月被申請金庫原町支店長中野利治の告訴に基づく日野、木村両名に対する暴行被告事件の無実の訴(以上第三次争議)等の活発な組合活動を行つてきた。

(ニ) なお、共闘会議は労組の闘争支援を目的として地区労傘下の労働組合および北九州市門司区内の民主団体により組織された団体である。

(2) 不当労働行為意思

被申請金庫が申請人両名に対し本件解雇をしたのは、申請人両名が労組の正副執行委員長であり、活発な組合活動をしたことを嫌悪してなしたものである。このことは次の事実から明らかである。

(イ) 申請人両名の業務能力

申請人氏家は、労組執行委員長として活発な組合活動を行つてきたが、業務面においても非常に優秀であり、被申請金庫経営者、管理職および職場の同僚から信頼を集めていた。特に昭和三六年八月二六日全国信用金庫協会より教育訓練スペシャリストとして、同年七月二八日得意先係指導インストラクターとしての各資格を授与されていた。また被申請金庫内においても事務改善委員、提案制度委員、諸規則研究委員、貸付金利体系調査委員、事業計画策定委員等の重要な任務を歴任し、被申請金庫の信任を得ていた。

申請人小橋も、労組執行副委員長として活発な組合活動を行つてきたが、業務面に於ても非常に優秀であり、特に支店長代理として被申請金庫経営者、管理職および職場の部下等から信頼を集めており、貯蓄推進委員、諸規則研究委員の任務を与えられていたものである。

(ロ) 労組結成直後の第一次争議中における被申請金庫の態度

被申請金庫においては、昭和三七年四月一二日労組が結成されるまで、高校卒で二五才、勤続年数七年の職員の俸給がわずか金一万二、二〇〇円の低賃金であり、女子職員は出産すれば退職を強要されるなど、従業員は言論の自由はおろか基本的人権すら奪われた過酷な労働条件のもとにあつたのであり、労組は右労働条件改善を目的として結成されたのである。

申請人両名はその正副執行委員長として、労組結成後ただちに被申請金庫に対し賃上げ等労働条件改善について団体交渉を申入れ、昭和三七年四月一三日から労働協約締結および賃上げ金五、〇〇〇円を要求して第一次争議に入り、同年七月四日妥結をみたが、その間被申請金庫側は次のとおり労組破壊等数々の反組合的な不当違法な行為をした。

(A) 労組が締結を要求した労働協約一四項目中、第一回団体交渉において労使間で意見が相違したのは三項目にすぎず、しかもその三項目については労組の要求自体過大な要求ではないうえ最終的には被申請金庫の意見に殆んど従つているのであつて、被申請金庫経営者が真剣に労組を労働組合として認め、正常な労使関係の樹立を図る意思さえあれば、容易に妥結する筈であつた。賃上げについても同様であつて、被申請金庫の経常収支率からみて、要求金額を受け入れたとしても、その経営に影響を及ぼすことはなかつたし、また当時の極めて劣悪な労働条件からして、組合としては満額回答を得ても過分な賃金を得たとはいえないことは明らかな状態であつたが、労組はあくまで満額回答に固執していた訳ではなく、最終的には三、八〇〇円の賃上げで妥結しているのであつて、被申請金庫経営者が労組と労働者の地位を認め、また当時の労組員の生活に思いをいたすならば、極めて容易に妥結する筈であつた。

現に門信労より約二ケ月早く労働組合が結成され、経営的にみて門司信用金庫と大差はない小倉信用金庫においては、労働協約締結および金五、〇〇〇円賃上げ要求が一週間で妥結に至つているのであつて、被申請金庫経営者に一片の誠意でもあれば、労組結成当初の要求の如きは、おそくとも旬日を経ずして妥結しえた筈である。

(B) しかるに、被申請金庫側は、団体交渉直前に必ず、時間制限、交渉人員制限、交渉委員限定等条件を持ち出して、事態を紛糾させ、実質的交渉の拒否引延しを繰り返し、被申請金庫側委員は団体交渉の途中において休憩をとつたまま一方的に交渉を打ち切つたことがある。

このため、団体交渉が夜半に及んだことも数回あつたが、徹夜団交は昭和三七年四月一四日から翌一五日にかけての一回のみであり、しかもいずれも労使双方了解のうえ行われたものである。また、昭和三七年四月一三日午後八時頃中山理事長が理事会の席上で倒れ、その後しばらく病床に臥していたことはあるが、これは申請人両名ら労組側委員が団交を強制したからではない。同日申請人両名らは、被申請金庫に対しはじめて団体交渉の申入れを行い、当初同日午後三時頃開始の予定であつたが、被申請金庫がこれに応じないため、交渉開催のための接渉に無為の時間を経過しているうち、被申請金庫が午後八時頃から理事会を行い、その席上で中山理事長が倒れたのである。このような労組との正式団交に入る前の出来事について申請人両名を非難するのは筋違いである。当日現三浦理事長は、「中山理事長が倒れたのは組合の責任だ。」と事実に反する発言をしたため、労組側委員の抗議を受け、謝罪している。

さらに、被申請金庫は、昭和三七年四月一九日頃から団交を拒否し、自主解決を放棄して福岡県地方労働委員会にあつ旋を依頼したが、同年四月二七日行われた地労委の事情聴取により労組との交渉に応ずるように勧告を受けたにも拘らず、地労委のあつ旋には必ずしも従う義務はないと強弁して、労組との交渉を同年五月一日に至るまで拒否し続けた。

(C) 被申請金庫は、労組結成後ただちに北九州市門司区大里不老町三丁目扇屋旅館に労組対策本部を設けて、後藤某なる労務対策屋を高給で雇い入れ、職制組合員を右旅館に集めて教育し、現門司信用金庫従業員組合(以下従組という。)組合長三村脩、同副組合長前田勉ら労組に批判的であつた労組員を秘かに集めて労組切崩しにかかり、また、昭和三七年四月一六日組合に批判的であつた職制労組員を煽動して、交渉会場に殴り込みをかけさせ、刑事事件を引き起すことまで計画した。

以上のような被申請金庫の態度は、その経営者が、労働者および労働組合は使用者に隷属するものではなく、それと対等の立場に立つものであるという今日では小児にも明らかな道理をわきまえず、その従業員は自らが養つているのであるから、自由に支配しうるものであるという中世的発想を根幹とし、それにも拘らず、従業員が経営者に無断で労組を結成したことをもつて自分達に対する裏切りであるとして逆上したか、あるいは労組が強大になり次々と労組員の権利が拡大されると、基本的人権の侵害と劣悪な労働条件のもとに従業員をほしいままに支配していた体制が崩壊するとの危機感を抱いたかによるものであると考えられる。

(ハ) 組合分裂による被申請金庫の労組切崩し等

被申請金庫は結成後活発な組合活動を行う労組をますます畏怖嫌悪し、労組員中三村脩らに働きかけて、労組内部の批判勢力を助勢拡大させ、ついに右三村ら五名を労組役員選挙に立候補させたが、昭和三七年一一月一二日選挙の結果惨敗するや、同年一二月一三日右三村らを中心として水友会という分派組織を北九州市小倉区妙見温泉センターにおいて極秘のうち結成させ、労組の組織破壊を図る労務政策をとつてきたが、これが暴露されるや、昭和三八年二月二日労組を分裂せしめ、第二組合たる従組を結成させ、公然と労組の組織破壊の不当労働行為を行つた。

組合分裂後も、労組は、賃上げ、臨時手当金要求等について従組に対し共同闘争を申し入れる等一貫して従業員全般の労働条件の維持改善に努めてきたが、被申請金庫の意思に迎合する従組は全くこれに応ずることなく、一方被申請金庫は常に労組に先んじて従組と低額で交渉妥結し、その妥結の結果を労組に押しつけ、誠意をもつて労組との団体交渉には応じようとはしなかつた。また労組が従組と同じ条件で妥結しようとしても、他の条件をからませて妥結を迫り、交渉を引き延し金員の支給を遅延せしめるなどして、労組の組織の崩壊をはかる意図を露骨に示し、労組に支配介入した。

また、被申請金庫は、組合分裂以後半年間に五回にわたる異例の中途採用(縁故採用)を行い、採用する職員にはすべて従組加入の条件を付し、新入職員の正式採用日以前にその名簿を従組に提示するなど従組加入を容易ならしめて、分裂以後採用された職員をすべて従組に加入させ、また管理職を督励して労組切崩しを行い、あるいは労組員家族等宛に「誤つた階級闘争至上主義にふりまわされ」、「政治的野望云々」、「特定の政党の主張を支持して革命の尖兵を自負して云々」、「左翼革命こそその生き甲斐」等と労組があたかも政治団体で、政治目的のために闘争しているかの如く、またその他の点についても労組を悪態の限りを尽くして罵倒誹謗した文書を数回にわたり配付するなどして労組の組織を弱め従組拡大の方策をとつてきた。

(ニ) 従組の役割

一方従組も、分裂当初から被申請金庫と結託して労組の方針を「闘争至上主義」、「社会変革と職場混乱を目的とした行動」、「企業破壊者」等と誹謗する一方、自らは独善的な労使協調論、ノーワーク、ノーペイ論等の誤謬のうえに立つて、(1)労働基本権を放棄し、(2)産前産後休暇、病気休職、出納違算金等について、労働者にとつて既得権を喪失する就業規則の改正に進んで賛成し、(3)被申請金庫の経営状態も調査せず、また他の同程度や規模の小さな信用金庫の経営状態や労働条件について調査することもなく、被申請金庫のお情けにすがつて、その押しつける低賃金に甘んじ、(4)さらに休暇、労働時間についての有利な慣行を放棄し、(5)資金量は三倍以上に増加したのに対し、労働者はかえつて減少し、労働が強化されたが、それにも賛成する等労働組合とはいえない態度を続けてきた。これは如何に巧言を用いようとも、労働者全体に対する重大な裏切りであり、御用組合の実体を余すところなく示している。

労組は、労働条件の切下、既得権侵害、その他労働者圧迫政策に対し労組員の生活と権利を守るために闘争を続けてきた。これらは、単に自らの権利と生活を守るための権利であるにとどまらず、他企業の労働者にかかる無法が波及することを防止するための労働組合の義務であるといわなければならない。しかるに、従組は右の如き権利を放棄し義務も尽さず、ひたすら被申請金庫の走狗となつて争議の妨害を繰り返した。しかもその妨害たるや、被申請金庫の右のような非道には全く触れず、正当な労組の争議行為を一方的に非難するものであつて、労働組合の仮面をかぶつていても被申請金庫の論理そのものであり、従組が如何に金庫に飼いならされているかを如実に示している。特にいわゆる見送り戦術の如きは、真面目に働き真剣に権利と生活を擁護するため闘争中の労組員を、被申請金庫と結託し、被申請金庫の論理そのものによつてこれを非難し罵倒し、或いはからかうものであつて、労働の神聖と労働者の尊厳に対する冒涜以外の何ものでもない。したがつて、右の戦術が地域の労働者の憤激をかい、清掃車で被申請金庫が取り巻かれ、遂にすごすごと右の戦術を引つ込めるという醜態に終つたのも当然である。

(ホ) 就業規則の変更

被申請金庫は、前記のとおり従組員の増員をはかるとともに、労組の切崩しを行い、昭和三八年八月従業員の過半数を占めるや、従組と結託して労組を無視し、就業規則の一方的改悪を強行し、その後これを労組弾圧手段として使用してきた。すなわち

(A) 被申請金庫は、労働基準法第九〇条を形式的に利用し、過半数の組合員の意見のみ聴けばよいとの態度で、過半数に近い労組員の意思を無視して、就業規則変更を強行したのであつて、右就業規則変更は適正な手続をとつていない。

被申請金庫が行つた就業規則変更手続の経過は次のとおりである。

昭和三八年八月二二日被申請金庫は、従組に対し変更案を提示し、意見書を八月二八日までに提出するよう求める。

同年同月二三日右の事実を知つた労組が、被申請金庫に対し変更案の提示を求めたが、拒否される。

同年同月二四日労組は、従組に対し変更案の提示を求めたが、被申請金庫の許可がないとの理由で拒否される。

同年同月二八日従組は意見書を提出した。

同年同月二九日被申請金庫人事課長有角正己は、労組に対し一応見せとくといつて村田順治労組執行委員の机上に変更案を一部置き去る。

同年同月三〇日被申請金庫は、門司労働基準監督署に対し従組の意見書を添付して変更案を提出する。

同年九月二日被申請金庫は、金庫掲示板に新就業規則を掲示し、同年九月一日より実施すると通告する。

同年同月一三日労組の門司労働基準監督署に対する異議申立により、被申請金庫は、労組の意見書も添付せよとの勧告を受ける。

同年同月一四日被申請金庫は、労組に対し意見書の提出を求める。

(B) しかも、右就業規則変更の内容たるや、条項を抽象的にし、被申請金庫の自由裁量の巾を拡大し、さらに七三項目にわたる多数の懲戒処分規定を設けた。この就業規則改悪が労組に対する弾圧破壊を意図していたものであることは、現在に至るまで労組員二七名が懲戒処分を受けていることからみても明らかである。

(ヘ) 昭和三八年一〇月二三日争議妥結における被申請金庫の欺瞞

労組は、昭和三八年三月からの春闘(分裂策動反対、土井啓司不当解雇撤回、既得権侵害の賃金体系反対等の第二次争議)を同年一〇月二三日妥結し、その際「1土井啓司は依願退職とする。但し昭和三九年一月一日再採用する。2経済要求三点は被申請金庫、労組、従組の三者による委員会を設けて、労組の主張を容れる。」旨の裏確認を交したが、被申請金庫は、右裏確認事項を無視し、以後これを履行しない。

(ト) 労働協約の破棄

被申請金庫は、昭和三八年一一月四日労組員三名に対し人事異動の交渉をし、これに対し右労組員はそれぞれ希望を提出した。右希望は無理からぬことと考えられるが、それはとも角として、右希望たるや、頭から異動に応じないといつた強硬なものではなかつた。しかるに、被申請金庫は、労組員三名が希望を提出するや、ただちに異動計画を撤回し、労組結成当時締結した労働協約の第一〇条に「金庫は、組合員の異動解雇について組合と協議決定する。協議ととのわない場合、一方的に発令しない。」旨の協議条項があるために人事異動を実施できず、人事が停滞すると称して、同月一四日労働協約の破棄を通告した。

人事異動の申入れ、それに対する該当者の態度、その後の労働協約破棄申入れの時期等からみて、この異動申入れが単に労協破棄の口実を作るためになされたことが明らかであつて、被申請金庫の労組圧殺のためには手段を選ばない狂暴性を如実に示している。

人事異動の申入れが口実に過ぎない一証左として、労組員土井啓司は労働協約があるにも拘らず、何ら協議等することなく、一方的に解雇されている事実を挙げることができる。

(チ) 労組の地労委に対する救済申立

現在福岡地方労働委員会に対し労組が救済申立をなした事件が八件係属しており、その後すでに六件の事件が発生し、申立の準備中である。特に被申請金庫は「福岡地労委は、今に被申請金庫と労組との間の事件で一杯になる」と強弁しており、このことはいかに被申請金庫が法を無視してまで労組弾圧を意図しているかを明白に物語るものである。

(リ) 申請人氏家に対する諸行為

申請人氏家の活発な組合活動を被申請金庫が嫌悪し、申請人氏家を職場から排除することを狙つていたことを示す具体的事案として、昭和三八年の春闘が終結して同年一一月申請人氏家が職場に復帰した際(それまで申請人氏家は闘争指導のため組合専従として職場離脱をしていた。)、直接の上司である人事課長有角正己は、被申請金庫経営者の命をうけ、申請人氏家所属の本部、研修課室より同人の机を取除き、研修課室内に入れようとせず、そのため申請人氏家は約四ケ月以上に亘つて机も仕事も奪われるという状態が続いた。

そして、被申請金庫は、労働協約が失効するや、昭和三九年三月申請人氏家を被申請金庫において最も多忙である大里支店に人事異動し、かつ同支店内においても最も多忙であり、現金を取扱うため最も危険な業務であるテラー係に任命した。申請人氏家は、それまで入社時の一ケ月間しか現金取扱事務は経験しておらず、かつ労組執行委員長あるいは上部団体役員として、勤務時間中といえども一定の組合活動をなすべき必要性があり、これらの事情を被申請金庫は熟知していながら、敢て多忙危険な業務につかせ申請人氏家の組合活動を妨害しようとした。

これらの事実は、明らかに被申請金庫が申請人氏家の活発な組合活動を嫌悪していたことを示している。

(ヌ) 申請人小橋に対する諸行為

申請人小橋の活発な組合活動を被申請金庫が嫌悪し、申請人小橋を職場から排除することを狙つていたことを示す具体的事案として、被申請金庫桜町支店長坂本隆成は、退職した出納員の補充を行わず、同支店長代理の要職にある申請人小橋に昭和三七年一二月から昭和三八年三月まで出納係の業務を行わせて、支店長代理としての業務を行わせず、かつその組合活動を妨害した。

また、その実父小橋孝一は、約一〇年間被申請金庫の総代をつとめ、総代中最古参であつたが、昭和四〇年二月一一日同人が福岡県地労委において被申請金庫管理職宮元一士が理事長より労組員切崩しを行うよう督励され、板挾みの苦痛を訴えた事実を証言したため、被申請金庫は、昭和四〇年五月九日に行われた第二三期総代会から小橋孝一を除籍するという態度に出た。ちなみに、被申請金庫における役員改選はまず出資者の中から理事会の決議により理事長が総代銓衡委員を任命し、総代銓衡委員が総代を選出し、総代の中から理事銓衡委員が選ばれ、理事銓衡委員が理事を選出し、理事長は理事会の互選によるという全く堂々めぐりの役員改選が行われるのである。したがつて、理事長が好まない総代を除籍しようとすることは容易に可能なのである。

さらに、被申請金庫経営者は、昭和三九年一〇月頃申請人小橋が支店長代理として受けた貸付申込みについて、正常な取扱いを行わず二〇日以上に亘つて審査を遅延し、結局は申込みを拒否して、申請人小橋の被申請金庫における地位および社会的人格を低下させた。

被申請金庫は、各店役席者に「銀行支店長の経営学」という書籍を配付した際、申請人小橋が支店長代理であるにも拘らず同人に対しては配付しないという態度に出た。

これらの事実は、明らかに被申請金庫が申請人小橋の活発な組合活動を嫌悪していた事を示している。

(ル) 小森江支店長宮元一士の供述

昭和三九年三月一四日被申請金庫小森江支店長(当時)宮元一士が労組員河野次郎の自宅を訪問し、同人およびその両親に対し労組脱退を勧誘した際、被申請金庫が既に申請人両名を首切り予定者としていることを述べている。このことは被申請金庫は当時よりすでに申請人両名の活発な組合活動を嫌悪して首切り予定者としてその機会を狙つていたものであることを示している。

(ヲ) 団体交渉における被申請金庫の態度

被申請金庫が、労組結成当初から労働条件について労組と誠実に団体交渉をせず、敵視政策をとり続けて来たことは、先に述べたとおりであるが、その後も被申請金庫は労組と誠実に団体交渉をしない。

すなわち、被申請金庫は、団体交渉事項を団体交渉事項にあらずとして、団体交渉を拒否する事例が多く、また、団体交渉を開いても結果説明会に過ぎず、誠実な団体交渉をした事例は組合分裂後は皆無に近い。賃上げ、臨時手当等に関しては、常に従組が先に妥結し、労組とは団体交渉を開いても、単に結果説明会に過ぎなかつた。昭和三八年三月の期末手当の如きは、当時従組は労組に比べ遙かに小数組合であつたにもかかわらず、従組と先に低額で妥結し、労組に対しては組合別の回答はありえないとして、それを固執した。労組が要求、その他建設的な意見提出のためにと資料を要求しても、被申請金庫は月末の試算表すら見せず、人事考課については労組員と従組員の給与その他に大差が生じているのに真面目な団体交渉に応じない。被申請金庫は、その他労組側の冗談をとらえて団体交渉を打ち切る等、ことごとに労組敵視政策をとり続けている。

(ワ) 労組員と従組員の差別待遇

被申請金庫は、労組と従組とに対し日頃からあらゆることにことごとく差別待遇を行い、組合分裂後労組員と従組員の給与、臨給等に極端な差別をし、昭和三八年一〇月従組員にのみ預金増強手当各金一万円を支給して労組員の動揺を図つた。

(3) 結論

以上累々述べた如く、被申請金庫は、自らの既得権侵害、労働条件の切下げ、低賃金政策、労働強化等を棚に上げ、労組の争議をあらゆる手段をとつて自ら弾圧し、あるいは従組をそそのかして争議を妨害させる等、労組圧殺のために狂奔してきた。その根底にあるものは、例えば平和協定がない場合でも争議突入直前に争議通告をしないことは違法かつ不当と解し、ストライキ突入者に業務命令を発し、あるいは正当な争議行為を違法と論難するが如き、労働法に対する極めて粗雑な理解と、他面では労働者は経営者の意の儘に働くべきであつて、争議は悪であるという現在では殆んどの経営者が脱却している迷妄である。

その故に、闘争する労組の先頭に立つ申請人両名を解雇する機をうかがい、機をみて本件解雇の意思表示をなしたものであつて、形式的に数々の理由を掲げているが、その実は、労組結成以来被申請金庫が持ち続けた不当労働行為意思の一体現であることが極めて明白である。

以上の理由により、本件解雇は不当労働行為に該当し、公序良俗に違反するものであるから、無効なものというべきである。

(二)  解雇権の濫用

かりに一歩譲つて、申請人両名のした争議行為のうち違法なものがあるとしても、前記の被申請金庫の数々の不当労働行為に照すと、申請人両名のした右行為は、申請人両名を企業から排除しなければならない程重大な行為ということはできず、本件解雇処分は、解雇権の濫用として無効といわざるをえない。

第五申請人両名の主張に対する被申請人の認否

(一)  不当労働行為について

本件解雇が不当労働行為として無効であるとの主張は否認する。

(1)  申請人両名の地位および組合活動について

労組結成以来、申請人氏家がその執行委員長を歴任し、申請人小橋がその副執行委員長を歴任していることは認めるが、その余の事実は不知である。

(2)  不当労働行為意思について

被申請金庫に本件解雇について不当労働行為意思があつたとの主張は否認する。

申請人両名の前記解雇理由の行為が従業員として明らかに正当性を欠き逸脱したもので、信頼関係を基礎とする雇傭契約の存続が困難となつたので、やむをえず本件解雇に及んだものである。一般に労働組合の組合活動ないし闘争は、労働組合法上保護されるところで、被申請金庫としてもこれを嫌悪するものではないが、労組は、闘争至上主義を掲げて、被申請金庫の経営方針、特に企業近代化施策に事毎に反対を唱えて、闘争に持ち込んでこれを激化し、結成以後息つく間もなく三次にわたる長期争議を強行した。企業内組合である以上従組の如く、企業の健全な発展の中に労働者の地位の向上を計らんとする方針こそ正しい姿と思われるが、これは見解の相違であるので、労組の闘争至上主義自体一概に不当視すべきではないが、労組の一連の争議行為の如く、争議権の濫用ないし正当な争議行為の範囲を逸脱し、被申請金庫経営の大なる障害となるにおいては、労組幹部としてこれら闘争を企画、決定、指導した申請人両名を従業員不適格者として排除せざるをえない。

(イ) 申請人両名の業務能力について

申請人氏家が教育訓練スペシヤリスト等の資格を授与され、また事務改善委員、提案制度委員諸規則制度委員等に任命されたこと、申請人小橋が支店長代理、貯蓄推進委員、諸規則研究委員に任命されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(ロ) 労組結成直後の第一次争議中における被申請金庫の態度について

労組結成の事実は認めるが、その余の事実は否認する。被申請金庫は、急速な経済界の発展に伴い、体質改善、制度近代化を図るため、昭和三六年から賃金体系の改善、職制の明確化、職場規律の確立等を行つて来たが、申請人両名らはこれに対し不満を唱え、組合結成後はこれに対抗してあらゆる要求を出して反対の気勢を示しているものである。特に団体交渉については、労組は、その結成と同時に被申請金庫に徹夜団交を強い、罐詰抗議、職場放棄等あらゆる合法、非合法の戦術を駆使し、被申請金庫経営を根底よりゆさぶり、その団体交渉と要求の激しさに、理事は不安と恐怖の念を抱き、夜も寝付かれず、中山理事長の如きはこれがため失神して二ケ月間も病床に臥するに至つた。

(ハ) 組合分裂による被申請金庫の労組切崩し等について

被申請金庫が取引先、従業員家族等に文書を配付したことは認めるが、その余の事実は否認する。

申請人両名ら労組執行部は、労組結成以来全信労委員長石井外史らのマルクス主義、共産主義の指導を受け、これを批判し、労組を企業内組合として自主的なものに体質改善せんと自覚する労組員三村脩らを徹底的にしめ上げ、威圧した。三村らは、あくまで労組員として踏み止まり、内部から労組を体質改善するため水友会という勉強会を結成し、広く同志の加入を求めて、ともに研鑽を深めていたが、労組執行部は、水友会活動を組合分裂の準備と曲解して、同会の解散を命じたので、三村ら労組員四〇名は、やむをえず、主義を貫くため労組を脱退し、従組を結成するに至つたもので、もとより被申請金庫は右水友会結成、組合分裂、従組結成等に一切関与していない。

また、被申請金庫は、組合分裂以後賃上げ、臨時手当金要求等について、同時期に交互に両組合と団体交渉して、両組合に平等に妥結の機会を提供してきたが、従組との交渉において、従組が被申請金庫の経理内容等に理解を示し、双方歩み寄つて早期妥結をみるのに対し、労組との交渉においては、労組がその要求に他の条件をからませ(特に土井啓司解雇撤回要求等被申請金庫として到底受け入れられない要求を闘争の主柱として常に交渉に持ち出し)、被申請金庫が従組と既に妥結した金額を上廻る金額を要求して一歩も譲らず、長期闘争に突入するので、妥結が遅れる結果となつたのであつて、被申請金庫がことさら労組に先んじて従組と低額で交渉妥結し、その妥結の結果を労組に押しつけたことはない。

また、被申請金庫は、創立四〇周年にあたり業績不振を挽回し、預金増強計画を軌道に乗せるため、昭和三八年七月職員の臨時採用をしたが、その際年度中途で学校等から早急に就職希望者を推薦してもらうことが困難であつたので、取引先、従業員、役員等に就職希望者を推薦してもらうという形式を採つたが、あくまで厳正公平な試験を実施したうえ採否を決定したのであり(ちなみに、申請人両名も役員および総代の推薦により試験を受けて採用されたのである。)、もとより、右採用にあたつて従組加入の条件を付していない。そして、被申請金庫は、新入職員の入社と同時にその氏名を書面で両組合に公平に通知しており、事前に従組のみに通知したことはない。

また、被申請金庫が取引先、従業員家族等に文書を配付したのは、労組がビラ、立看板等により事実を著しく歪曲して被申請金庫を中傷誹謗する宣伝活動を反復実施し、取引先、従業員等に多大な不信と不安を与えたので、これを払拭し、特に取引先に理解と協力を求めるという企業防衛の対策上、やむをえず真相の一端を率直に通知したものであつて、労組の宣伝内容と対比すれば容易にその正当性を首肯できるところである。

(ニ) 従組の役割について

否認する。

(ホ) 就業規則の変更について

被申請金庫が昭和三八年九月就業規則を変更実施したことは認める。

新就業規則は、旧就業規則には不明確、不備な条項があり、また作成後一〇年近く経過して金融業界の再編成、競争激化等の現況に符合しない条項も出てきたので、これを整備、明確化して、金融機関としての公的使命を達成するため当然守るべき職場規律を確立せんとしたところにあり、ことさら労組員を律するためのものではなく、従業員中、多数を占める従組員、さらに管理職にも等しく適用されるものである。したがつて、従組は右就業規則変更を当然の措置として進んで賛成したのであつて、これを曲解非難する労組は被申請金庫経営を弱体化し、崩壊させる意図を有するものと考えるほかない。

(ヘ) 昭和三八年一〇月二三日争議妥結における被申請金庫の欺瞞について

否認する。

そもそも被申請金庫は申請人両名主張の裏確認を取り交していない。

(ト) 労働協約の破棄について

被申請金庫が昭和三八年一一月労働協約を解約したことは認める。

被申請金庫は労働協約を予告付解約をしたが、右労働協約はもともと異常な雰囲気のもとに強引に押しつけられたものであるうえ、その内容についても異動解雇協議条項の如き円滑な人事の障害となるものがあり、現に労組が右条項を盾に労組員三名の異動を承認せず、被申請金庫を右異動予定の撤回に追い込んだ事例もあるので、被申請金庫としては同条項が将来とも円滑な人事の障害となると判断し、やむをえず、労働組合法上認められた解約通知をしたまでであつて、ことさら労組弾圧を意図したものではない。

(チ) 労組の地労委に対する救済申立について

否認する。

(リ) 申請人氏家に対する諸行為について

否認する。

申請人氏家は、昭和三八年の争議時、被申請金庫とは何等の事前協議をせず、組合専従と称して、二五〇日余職場離脱を行つたものであり、その間、人事部研修課の業務は完全に麻痺せしめられた。被申請金庫は同年一一月申請人氏家が職場に復帰した際、人事部室内には机を増配置する余裕が全くなく、間もなく本部の机配置換を実施し、この際申請人氏家の労組における立場や行動を勘案し、人事部人事課と研修課を一つの部屋に置き、執務させることは、その義務と責任が抵触するため、研修課を別室に設ける事としたものである。しかるに、申請人氏家は、自己の職責を認識せず、日常の執務態度が常ならず、あらためて掌握管理の必要性を認め、翌年一月研修課を人事課と同室に戻したものである。なお、研修課は当時、申請人氏家一人であつた。

被申請金庫は、昭和三七年より相次ぐ長期の労働紛争により、従業員の研修など実施し得る状態ではなかつたので、研修業務を一時休止せざるを得なくなつた。そこで、申請人氏家の実務経歴を勘案し、第一線強化のため大里支店に転勤せしめたものである。申請人氏家の大里支店におけるテラー係の仕事は、顧客との窓口応待が主であり、小口現金の受払いこそあつたが、その量質とも出納係が行う現金取扱とは全く異るものであつた。

なお、申請人氏家は、大里支店在勤中は、勤務時間中といえども争議中と称して、必要に応じ、活発に組合活動をしており、被申請金庫がこれを嫌悪し、妨害したことはない。

(ヌ) 申請人小橋に対する諸行為について

被申請金庫程度の小規模企業にあつては、欠員が出来ても直ちに補充が出来ない場合もあり、また出納係という熟練を必要とするポストに未経験者は不適であるので、臨時的に支店長代理がつくことも不自然ではない。

被申請金庫の総代の選出は理事会の決議により委嘱された銓衡委員が銓衡委員会で総代を選出するものであつて小橋孝一が総代に選出されなかつたことには被申請金庫が関与する余地はない。

被申請金庫の顧客に対する貸付権限は代表理事会にあるので、その審査の結果、不適格になれば貸付を断るのは当然で、何ら支店長代理には関係ない。

「銀行支店長の経営学」という本は、被申請金庫が幹部教育のため、各支店長を通し役席者に配付したものであるので、申請人小橋を除外する筈もない。

(ル) 小森江支店長、宮元一士の供述について

昭和三九年三月小森江支店長(当時)、宮元一士が労組員河野次郎宅を訪問したのは、河野次郎がなしたカブ号無断使用の件につき、本人およびその父親に、その非を悟らせ、なるべく事を穏便にはかり度いためであつて、申請人両名主張の如き発言は全くしていない。

(ヲ) 団体交渉における被申請金庫の態度について

否認する。

(ワ) 労組員と従組員の差別待遇について

被申請金庫が昭和三八年一〇月従組員に預金増強協力手当として各金一万円を支給したことは認める。

労組員に右手当を支給しなかつたのは差別待遇をしたのではなく、創立四〇周年記念預金増強運動にあたり、申請人両名ら労組員が右運動推進委員就任を拒否辞退するなど協力しないばかりか、却つてビラ、宣伝カーによる市中宣伝などによりこれを妨害したのに反し、従組員のみが積極的に協力して目標を達成せしめたので、右協力の労苦に対する手当として各従組員に金一万円を支給したのであつて、非協力、妨害の挙に出ながら、右手当支給を求める労組こそ非常識といわなければならない。

(二)  解雇権の濫用について

否認する

第六証拠<省略>

理由

第一、当事者間に争いのない事実

被申請金庫が、北九州市門司区東本町に本部、本店、同区原町、桜町、小森江、大里、葛葉に各支店、同区藤松に出張所をそれぞれ置き、預金、貸付その他信用金庫法に定める業務を営む金融機関で、その従業員が約一二〇名であること、申請人氏家が昭和三二年四月一日、同小橋が昭和二九年四月二二日それぞれ被申請金庫に職員として雇傭されたこと、被申請金庫が、昭和四〇年一一月二〇日申請人両名にそれぞれ解雇理由を記載した解雇通告書を手渡して、被申請人主張の解雇理由により就業規則第二六条第三号を適用して普通解雇する旨通告し、昭和四〇年一二月一日以降の各賃金を支払つていないことは、いずれも当事者間に争いがない。

第二、本件解雇に至るまでの争議経緯

そこで、まず、本件解雇に至るまでの争議経緯を概説しておくこととするが、当事者間に争いのない事実およびいずれも成立に争いない甲第四ないし七号証、第八号証の一、二、第一一ないし第一三号証、第一六号証の一ないし四、第一七ないし第一九、第二七ないし第三〇号証、第三一号証の一ないし六、第三八ないし第四〇号証、第四一号証の一ないし三、第四二、第四三号証、第五二号証の一ないし五、第五三ないし第五六、第五八、第六〇ないし第六二、第六七ないし第七一、第七五、第八三ないし第八七、第九五ないし第九七、第一〇一、第一〇二、第一〇七ないし第一〇九号証、第一一〇号証の一ないし四、第一一一ないし第一一三号証、乙第一号証、第四号証の一、二、第五号証の一、三ないし七、第七号証の三、四、第八号証の三、第九号証の一、二、第一一号証の一、二、四、五、第一二号証の一、二、第一三号証の一、二、六、第一五号証の七、第一七号証の一、二、五、八、第二一号証、第二三号証の一ないし五、第二四ないし第二八、第三〇、第三六ないし第四三、第四七、第五五号証、第五六号証の一、第五七、第五九、第六〇号証、証人木村昌稔の証言(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第一〇号証の一ないし六、第三五、第五七、第六五号証、証人日野三千人の証言により真正に成立したものと認められる甲第三三号証、証人横井和江の証言により真正に成立したものと認められる甲第二二号証、証人草場利武の証言により真正に成立したものと認められる甲第三二号証、第八八号証の一、二、申請人氏家豊成本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三四号証、第一〇四号証の一ないし五、証人藤本茂雄、同有角正己、同草場利武の各証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証の二、第六号証の一ないし七、第八号証の一、二、四、第一一号証の三、第一三号証の三ないし五、証人林定吉の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証の一、二、第一五号証の一ないし六、八、第一七号証の三、四、第三四号証、証人草場利武の証言により真正に成立したものと認められる乙第一四号証の一ないし一九、第一六号証の一ないし五、第一七号証の六、七、九、第二二、第三一、第三二、第四五、第四六、第四八、第四九号証、第五二号証の一、二、第三条中の「の同意を要する。」とある部分については申請人氏家豊成本人尋問の結果により真正に成立したものと認められ、その余の部分の成立については争いがない乙第二九号証、証人三村脩の証言により真正に成立したものと認められる乙第五三号証の一ないし三、第五四号証の一ないし五、第五六号証の二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第九、第一四、第二〇、第二一、第二三ないし第二六、第三六、第三七、第四四ないし第五一、第九三号証の一ないし六、第九四号証の一ないし四、乙第三二、第五〇号証、第五一号証の一、郵便官署作成部分の成立については争いがなく、その余の部分の成立についても弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一五号証、乙第五一号証の二、証人日野三千人、同木村昌稔(第一、二回)、同横井和江、同近藤伊都子、同近藤善次郎、同向田一郎、同丸山修、同藤本茂雄、同遠藤正己、同林定吉、同中野利治、同有角正己、同草場利武、同三村脩の各証言、申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果を総合すると、本件解雇に至るまでの経緯として、次の事実が認められ、右認定を覆すにたる疎明はない。

一、申請人両名の経歴

(一)  申請人氏家は、本店貸付係を経て、昭和三六年本部教育訓練係となり、昭和三九年三月大里支店テラー係となり、その間昭和三六年七月全国信用金庫協会主催の管理職養成講座の、同年八月同協会主催の教育訓練担当者研修講座の各全課程を修了し、同年七月日本販売管理協会主催の得意先係指導養成講座の、同年八月同協会主催の訓練スペシヤリスト養成講座の各全課程を修了し、その各インストラクターとしての資格を授与され、被申請金庫内においても事務改善委員、諸規則研究委員等を兼任していたが、昭和三七年四月一二日労組結成以来現在に至るまで同執行委員長を歴任して、活発な組合活動をし、特に後記第一次ないし第三次争議を企画、決定、指揮し、他方昭和三八年一〇月七日から昭和四〇年九月二六日まで全信労中央執行委員、昭和四〇年九月二六日から現在に至るまで全信労中央執行副委員長、昭和三八年一〇月一五日から現在に至るまで全信労九州地方協議会議長を歴任している。

(二)  申請人小橋は、本店貸付係等を経て、昭和三七年四月一一日桜町支店長代理となり、昭和四〇年四月本店長代理となり、その間貯蓄推進委員、諸規則研究委員等を兼任したが、労組結成以来現在に至るまで同副執行委員長を歴任し、申請人氏家とともに活発な組合活動をし、特に後記第一次ないし第三次争議を企画、決定、指揮し、他方昭和三九年九月から現在に至るまで地区労常任委員、昭和三九年三月から現在に至るまで門司地区勤労者学習協会常任理事を歴任している。

二、労組および共闘会議の各結成

昭和三七年二月頃小倉信用金庫等近郊の信用金庫において次々と労働組合が結成されたが、被申請金庫においても従業員の間に賃金その他の労働条件について不満が募り、申請人両名を中心に秘かに労働組合の結成が準備され、昭和三七年四月一二日従業員約八〇名によつて労組が結成された(数日中に労組員は一一四名に増加した。)。

その後労組は、上部団体である全信労、地域労働組合の協議会である地区労に各加盟し、第一次争議中から地区労傘下労働組合の支援を受けていたが、第二次争議中の昭和三八年六月頃地区労傘下労働組合等二四団体により共闘会議(議長は地区労議長那波公明、事務局長は門司沿岸労働組合書記長小南唯広)が結成されるに及び、以降共闘会議と密接な連絡を取りながら、その指導、支援を受けることとなつた。

三、第一次争議

労組は、結成の翌日である昭和三七年四月一三日から異動解雇協議条項等第一四箇条の労働協約締結、賃上げ一律金五、〇〇〇円等を要求して被申請金庫と団体交渉に入つたが、妥結には至らず、同月一六日争議を予告通知し、同年五月頃からリボン闘争、赤旗掲揚、同年六月頃からさらに指名スト、時限スト等を加えて争議を実施し、同年五月一八日「金庫は労働条件については予め組合と協議決定する。」、「金庫は組合員の異動解雇について組合と協議決定する。協議ととのわない場合は一方的に発令しない。」旨の各協議条項等一二項目につき確認書を取り交わすとともに、その頃これに附帯する確認書、覚書等を取り交して、労働協約を締結し、次いで同年七月四日「今回の組合要求に関する交渉過程及び争議中に労使双方がとつた一切の行為についてはその責任を追求しない。」旨および賃上げ一律金三、五〇〇円とする旨の協定書を取り交し、ここに第一次争議は終結した。

同年夏期臨時手当については、同年七月一九日本給の二・五箇月分プラス一律金九、〇〇〇円(要求額は三箇月分プラス一律一万円)で、同年期末臨時手当についても同年一二月一六日三・三箇月分プラス一律金七、〇〇〇円(要求額は三・五箇月分プラス一律一万五、〇〇〇円)で、いずれも争議実施には至らず、妥結をみた。

四、従組の結成による組合分裂

労組員のうち三村脩、前田勉ら各店長代理クラスの労組の方針に批判的で被申請金庫に協調的な一派は、昭和三七年一一月の労組役員選挙に敗れた後、昭和三八年一二月一三日水友会という組織を結成したが、労組執行部がその解散を要求すると、同会員二四名を含む四〇名は労組を脱退し(労組員は七二名に減少した)、昭和三八年二月二日第二組合たる従組を結成し、その後従組員は、昭和三八年八月六九名(労組員五七名)、昭和三九年一〇月頃約八〇名(同約四〇名)、昭和四〇年一一月頃約一〇〇名(同約二〇名)と漸増した。

労組は分裂後、再三従組に共闘を申し入れたが、従組は、これを拒否し、かえつて労組が実施している争議は従組員の負担を加重し、被申請金庫の発展を害する違法なものであるとして、その中止を求め、さらに被申請金庫に対し労組の違法争議を中止させるよう要求するに及び、両組合は抗争、対立を深めていつた。

一方被申請金庫は、従組結成後賃上げ、臨時手当等につき既に従組と妥結した額をもつて労組に回答して一歩もこれを譲らなかつた。

五、第二次争議

労組は、昭和三八年二月二一日から期末臨時手当二・五箇月分プラス一律金一万円および賃上げ一律金五、〇〇〇円の要求、賃金体系改訂反対(改訂すると、(1)実質的に賃下げになる人が出ること、(2)従前二三才まで男女格差がなかつたが、一九才から格差をつけたこと、(3)集金員、傭員については打切りを前提とした差別賃金体系を設けたことの三点が既得権の侵害となるとして。経済要求三点と称する。)、差別待遇反対、分裂策動反対などを掲げて、春闘に入つたが、妥結に至らず、同年三月二六日争議を予告通知し、同年六月五日夏期臨時手当三箇月分プラス一律金一万円の新要求を追加し、闘争を続けるうち、同年六月二〇日労組執行委員土井啓司が業務上の不始末により懲戒解雇されるという事態が発生したが、労組は、右懲戒解雇は解雇協議条項に違反するとして、その撤回を要求した。そして、その頃からリボン闘争、赤旗掲揚、懸垂幕、ビラ配布、一斉ランチ、三角錐の貯金箱に「金庫のガンを除け」、「不当解雇反対」等のスローガンを記入して各労組員の机上に立てる貯金箱戦術、労組員の一斉ランチ時をねらつて共闘会議構成員等に小額預金を行わせる五月雨預金戦術、指名スト、時限スト等の争議を実施し、前記期末臨時手当については昭和三八年七月五日一・七箇月分プラス一律金五、〇〇〇円で妥結をみた。ところが、被申請金庫が、労組の貯金箱戦術を違法争議行為と判断して、同年八月二七日机上の貯金箱多数を撤収保管し、さらに同年九月一日服務懲戒規定を中心に就業規則を変更実施したことから、労組は、ますます態度を硬化し、右就業規則の変更の実施は労働協約、労働基準法に違反するとして、その撤回要求を新たに加え、前記争議戦術を繰り返していた。ようやく被申請金庫の創立四〇周年記念式典の日である同年一〇月二三日「1労使とも今後正常な労使関係の確立に努力する。2金庫は組合に対し新賃金体系により算出した給与を支払う(賃上げ平均金二、七九七円となる)。3金庫は組合に対し夏期臨時手当として新賃金体系による本給の二・三箇月分プラス一律金五、〇〇〇円を支払う。」旨の和解協定書および「1土井啓司は依願退職とする。一年後において本人に改悛の情があると認められた場合金庫は再採用を考慮する。2経済要求三点については、金庫、労組、従組の三者による委員会でこれを検討する。3立上り資金は二〇万円であればこれを考慮する。4以上三点に関しては一切他に口外しないこと。」旨の覚書をそれぞれ取り交して、ここに第二次争議は一応終結し、労組は同年一一月九日立上り資金二〇万円の支給を受けた。

そして、右争議終結後も労組は、就業規則変更実施反対の闘争を続けていたが、被申請金庫が、同年一〇月二八日預金増強運動協力手当金一万円を従組員に支給しながら、労組員に一切支給せず、さらに同年一一月一五日前記異動協議条項が人事の障害になるとして、同条項を含む前記労働協約および附帯協約を昭和三九年二月一四日限りの予告付で解約したので、これに対し、労組は、協力手当金支給、労働協約解約撤回の要求および年末臨時手当本給の三・五箇月プラス一律一万円の要求を新たに加え闘争を続け、年末臨時手当について同年一二月一八日本給の二・九箇月分プラス一律金五、〇〇〇円で妥結しただけで、他の諸要求については妥結をみなかつた。

六、第三次争議

労組は、就業規則変更実施反対、従組員だけに対する協力手当金支給等差別待遇反対、労働協約解約撤回等の闘争を続けて越年したが、昭和三九年一月から昭和三八年一〇月二三日付覚書に関し「1被申請金庫は昭和三九年一月土井啓司を再採用する。2経済要求三点については三者による委員会において労組の主張を認める。」旨の裏確認を交していたとしてその実施要求を追加し、ついに同年二月一一日争議を予告通知し(これに対し被申請金庫は、右覚書の内容を公表したことを理由に同年二月一五日これを破棄した。)、前記協約が失効した昭和三八年二月一四日から従前と同一内容の協約締結を要求し、同年三月二一日から期末臨時手当本給の二箇月分プラス一律金一万円の要求を追加し、同月二七日からカブ号私用により労組員河野次郎に対しなされた減給処分の撤回要求を追加し、さらに同年三月三一日から賃上げ一律金五、〇〇〇円の要求を、同年六月一三日夏期臨時手当本給の二・八箇月分プラス一律一万円の要求をそれぞれ追加し、次々と闘争事項を加えて、その間赤旗掲揚、一斉ランチ、指名スト、時限スト、一斉スト等争議を実施した。そして、前記期末臨時手当について同年四月七日本給の一箇月分プラス一律金五、〇〇〇円で、前記夏期臨時手当について同年七月一五日本給の二・五箇月分プラス家族手当の一箇月分で妥結しただけで、その他の事項については妥結に至らず、労組は被申請金庫が同年七月一四日指示した遅刻早退外出申請書の提出拒否戦術を加え、争議を続けた。

そして、同年一〇月六日申請人両名ら労組執行部が原町支店長中野利治に団体交渉を申し入れた際、後記原町事件が発生したが、同月一〇日中野支店長が労組書記長日野三千人、同執行委員木村昌稔の右事件当日の行為を暴力行為として告訴したことにより、同月一四日右両名が逮捕されるに及び、労組は、態度を極端に硬化し、告訴取下の要求を拒否されるや、これに対抗するため、同月二七日被申請金庫が実施した前記貯金箱撤収保管を取り上げて、被申請金庫の三浦理事長以下幹部、職制一一名を強盗等被疑事件で告発し(後記貯金箱事件)、さらに、同月二日店頭交換すべきオリンピック記念銀貨を被申請金庫幹部が横流した旨同月二八日日本銀行北九州支店に申告し、同旨を新聞社に通報して新聞に掲載させ(後記オリンピック記念銀貨事件)、また、労組は被申請金庫が同月七日から実施した名札佩用の拒否闘争をした。被申請金庫も、同年一一月四日原町事件に関与した申請人両名ら一一名に対する出勤停止等懲戒処分をもつて臨み、労組は右大量処分撤回の要求を追加し、その頃からビラ配付、立看板、ニユースカー等の宣伝活動を交えて泥沼闘争に突入し、同年一一月二八日さらに年末臨時手当本給の三・五箇月分プラス一律金一万円の要求を追加したが、これに対し被申請金庫も強硬な態度で臨み、その支給条件として他の未解決事項につき譲歩を迫り、ようやく同年一二月二九日右手当について本給プラス家族手当の三・〇五箇月分で妥結し、その際「1今回の全面妥結への道を尊重し紛争をさけるため今後も努力を続ける。2労組は年末年始の実力行使を中止する。」旨の覚書が取り交された。

しかしながら、昭和四〇年一月以降も事態は進展せず、同年一月一四日日野、木村が起訴され、同年二月二日右両名が懲戒解雇されるに及び、労組はその撤回要求を追加し、同年三月五日から賃上げ一律金五、〇〇〇円の要求を、同月一三日から期末臨時手当本給の二箇月分プラス一律金五、〇〇〇円の要求を追加したが、わずかに、同年四月五日右期末臨時手当について本給の一箇月分で妥結し、同月一六日前年賃上げについて定期昇給込み金二、五三七円で妥結したゞけで、争議を続けるうち、同年五月九日の総代会について後記総代会事件が発生した。

その後も、労組が、同年六月一九日から夏期臨時手当本給の三箇月分プラス一律一万円の要求を追加し、さらに同年八月一六日採用されたタイムレコーダー制に反対し、その打刻拒否戦術を実施し、以上山積する未解決事項につき闘争を続けるうち、右闘争を企画、決定ないし指導していた申請人両名に対し、同年一一月二〇日本件解雇がなされたものである。

第三、本件解雇理由

被申請金庫は、その主張する申請人両名の一連の行為は、就業規則の懲戒解雇理由に当るが、申請人両名の将来の就職等を考慮し、右懲戒解雇規定を適用せず、就業規則第二六条第三号の「已むを得ない事業上の都合によるとき」の条項を適用して、すなわち被申請金庫従業員として適せず、雇傭契約の継続が困難であることを理由に、普通解雇に処したと主張する。

前掲乙第一号証によれば、昭和三九年九月一日実施の被申請金庫の就業規則は、普通解雇について第二六条に別紙のとおり規定する一方、懲戒処分について第六八条ないし第七六条に別紙のとおり規定していることを認めることができる。

ところで、懲戒解雇理由があるのに普通解雇をすることは、被解雇者に予告手当の支払等の利益を与えるので、許される場合もあるものと解すべきであるが、その解雇の当否は、その主張する解雇理由が懲戒解雇理由に当ると共に普通解雇理由にも当るか否かによつて決すべきものと解するのが相当である。

そこで、以下申請人両名が右のような両解雇理由に当る行為をしたか否かについて検討することとする。

一、原町事件

(一)  原町事件の事実

当事者間に争いのない事実および前掲甲第四ないし第七号証、第八号証の一、二、第一六号証の一、第五七、第六八、第六九、第八三、第八六、第一一三号証、乙第五の一ないし七、第六号証の一ないし七、第八号証の一、四、第二一、第二二、第三六ないし第四三、第四六、第五〇号証、証人木村昌稔(第一回)、同近藤伊都子の各証言、同日野三千人の証言、同藤本茂雄、同中野利治、同有角正己、同林定吉、同遠藤正己、同草場利武、同三村脩の各証言、申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 労組と被申請金庫は、昭和三八年三月一八日団体交渉に関する協定書を交わしたが、その第二条は、団体交渉は被申請金庫および労組が双方自主的に任命した代表権限を有する委員において行う旨、第三条は、被申請金庫または労組は、団体交渉を行わんとするときは、あらかじめ日時、会場、議題等の事項を記載した書面によつて相手方に申し入れなければならない旨それぞれ規定していた。

(2) ところで、被申請金庫原町支店長中野利治は、昭和三九年一〇月一日同支店全従業員に対し翌二日は午前九時からオリンピツク記念銀貨の交換を行うから早目に出勤するよう指示したが、同日午前八時五〇分頃になつても右銀貨の保管責任者である中川紀美子が出勤しなかつたため、自ら中川のキヤビネツトから右銀貨を取り出し、これを引換係に手渡し、もつて中川に無断で現金を取り扱つた。

ついで、同月三日、四日の両日右中川ら同支店労組員は、一泊旅行をしたが、従来従組員が一泊旅行に出発する際、中野支店長は執務が早目に終るよう便宜をはかつてやつているにもかかわらず、その際何等便宜をはかつてやらなかつたため、出発に遅れる結果となつた。

(3) そこで、中川ら同支店労組員四名は、同月五日中野支店長と職場交渉をもつて、右事実等について抗議したが、その際同支店長は、支店長は場合により出納の現金を取扱う権限があること、支店長として前記旅行その他に際し労組員を従組員と差別したことはないこと、また土井啓司懲戒解雇の問題に触れて、土井の現金の使い込みが事実であるかのような趣旨の各発言をした。

(4) そこで、中川は、同日労組執行部に対し、中野支店長の右発言内容について連絡したところ、同執行委員会は、討議した結果、労組として同支店長の発言内容の確認と善処方を要求するため、同支店長と団体交渉を行うことに決定した。

(5) そして、前記協定第三条による事前の書面による申入れをすることなく、同月六日申請人両名、丸山修副執行委員長、日野三千人書記長、木村昌稔、山本達也、村田順治、宇津井裕各執行委員、土井啓司書記は、被申請金庫本部において他の事項につき団体交渉をした後である午後五時頃原町支店に赴き、中川紀美子、近藤伊都子、広木行夫、富士孝子とともに同支店一階営業室裏の食堂において待機し、丸山、木村が営業室に行き、中野支店長に対し「昨日のあなたの発言の内容について組合が話しあいたいと言つて来ているから会つてくれ。」と申し入れたが同支店長は「そんな必要はない。」と拒否し、やがて帰宅すべく営業室から食堂に赴き、机の上に置いてあつた同人の鞄を取り上げ、そのまま同支店の裏出口廊下に通ずるドアに向つて歩き始めたので、日野、山本は「何故帰るのか。昨日あなたが言つていたことが重大なので、わざわざ来たのだから当然話に応ずべきではないですか。」と詰め寄り、さらに申請人両名が「昨日の発言が真実かどうか聞きたい。」と申し入れたところ、中野支店長は「使い込みをしたなどと言つていない。」、「現金の取扱いは支店長もできる。」と言い返し、「もう話はせん。帰る。」と言いながら右ドアの前まで歩き、ドアのノブに手を掛けようとした。

そこで、日野は、「言い放しで帰るのか。それでも支店長か。」と言いながら同支店長の帰宅を制止するため、左手を同支店長の左手の上腕部の内側に差し入れて掴み、右手で同支店長の左手の関節部分を握り押えて引き止め、同支店長が「離せ。」と言つて振りほどき、ドアを開けようとノブに手をかけると、右同様の方法で再び引き止め、同支店長が再びこれを振りほどいて、ドアを開け、同支店の裏出口の道路に出たところ、申請人氏家、山本は、同支店長に対し「二、三人で営業室の方で話そう。」と申し入れ、これに応じて、日野は、右手を同支店長の右手上腕部にかけ、左手を同支店長の右手の関節にかけて引き止め、木村は、同支店長の前方に立ち塞がり、両手で同支店長の胸部を二度にわたつて押した。

その後同支店長は帰宅したが、右やりとりは約一〇分程度であつた。

(6) 中野支店長は、理事長三浦実次らと相談のうえ、同月一〇日日野、木村の右行為を暴力行為として告訴し、右両名は同月一四日逮捕された。

(7) 被申請金庫は、同年一一月四日申請人両名らの行為は職制を威圧する集団暴力行為であるとして、就業規則に基づき、申請人氏家、日野、木村を出勤停止一〇日間、丸山を同三日間、近藤、中川、富士を同一日間、申請人小橋、山本、村田、宇津井、広木を減給の各懲戒処分に付した。

(8) 日野、木村が昭和四〇年一月一四日暴行罪で起訴されると、被申請金庫は同年二月二日右両名を懲戒解雇した。

(9) 起訴された日野、木村に対して、福岡地方裁判所小倉支部は昭和四一年一月二八日無罪の判決を言い渡し、これを不服とする検察官から控訴されたが、福岡高等裁判所は昭和四二年三月六日控訴を棄却し、その理由として「原判決が、被告人らの所為は、暴行罪として予想する程度の違法性を欠き、暴行罪の構成要件に該当しない、すなわち可罰的違法性がないとして無罪を言渡したのは相当である。」と述べ、右両名の無罪は確定した。

(10) 労組は、昭和四〇年二月二五日申請人両名等一二名に対する昭和三九年一一月四日付懲戒処分、日野、木村に対する昭和四〇年二月二日付懲戒解雇処分につき救済を申し立て、福岡県地方労働委員会は、昭和四二年四月二〇日日野、木村に対する懲戒解雇処分の取消を命じ、その余の申立を棄却したが、双方の再審査申立により、中央労働委員会は、昭和四四年七月二日日野、木村を除く申請人両名ら一〇名に対する懲戒処分、日野、木村に対する懲戒解雇処分の各取消を命じた。

(11) また、労組は、共闘会議と連絡協議のうえ、右日野、木村の逮捕後原町事件について、次の日時に、次のような共闘会義名義のビラを街頭等で一般市民に配付し、次の日時に被申請金庫の本支店の正面玄関横に、次のような共闘会議名義の立看板を立てたが、申請人両名は、労組正副執行委員長としてこれらを企画、決定、指導した。

(A) ビラ

(イ) 昭和三九年一〇月頃別紙ビラ目録一記載内容のビラ(以下ビラ一という。乙第五号証の一)

(ロ) 同月一四日頃同目録二記載内容のビラ(以下ビラ二という。乙第五号証の二)

(ハ) 同月一五日頃同目録三記載内容のビラ(以下ビラ三という。乙第五号証の三)

(ニ) 同年一一月頃同目録四記載内容のビラ(以下ビラ四という。乙第五号証の四)

(ホ) 同年一二月頃同目録五記載内容のビラ(以下ビラ五という。乙第五号証の五)

(ヘ) 昭和四〇年一月頃同目録七記載内容のビラ(以下ビラ七という。乙第五号証の六)

(ト) 同年二月頃同目録九記載内容のビラ(以下ビラ九という。乙第五号証の七)

(B) 立看板

(イ) 昭和三九年一〇月一九日頃原町支店別紙立看板目録一記載内容の立看板(以下立看板一という。乙第六号証の一)

(ロ) 同年一一月五日頃本店別紙立看板目録二記載内容の立看板(以下立看板二という。乙第八号証の一)

(ハ) 同月一六日頃桜町支店別紙立看板目録三記載内容の立看板(以下立看板三という。乙第六号証の二)

(ニ) 昭和四〇年二月九日頃本店別紙立看板目録六記載内容の立看板(以下立看板六という。乙第六号証の三、甲第八号証の一)

(ホ) 同月二三日頃本店別紙立看板目録七記載内容の立看板(以下立看板七という。乙第八号証の四、甲第一六号証の一)

(ヘ) 同年三月二六日頃本店別紙立看板目録八記載内容の立看板(以下立看板八という。乙第六号証の四、甲第八号証の二)

(ト) 同年七月一六日本店別紙立看板目録一二記載内容の立看板(以下立看板一二という。乙第六号証の五)

(チ) 同年九月三〇日本店別紙立看板目録一三記載内容の立看板(以下立看板一三という。乙第六号証の六)

(リ) 同年一一月一〇日本店別紙立看板目録一四記載内容の立看板(以下立看板一四という。乙第六号証の七)

以上の事実が認められ、証人日野三千人の証言中、右(5)の認定に反し同人は中野支店長に手をかけていない旨供述する部分は、前掲各証拠に照し、にわかに措信できず、他に右認定を覆すにたる疎明はない。

(二)  申請人両名らの右行為に対する判断

(1) 被申請金庫は、既に昭和三九年一一月四日原町事件における申請人両名の行為を、職制を威圧する集団暴力行為であるとして、就業規則に基づき、申請人氏家を出勤停止一〇日間、申請人小橋を減給の各懲戒処分に付している。したがつて、同事件における申請人両名の行為を本件解雇理由に当る行為として再び取り上げることは、本件解雇が前の処分と異なり形式上普通解雇であり、右行為に併せて他の行為が解雇理由とされていることを考慮しても、一事不再理の原則に照し許されないものと解すべきである。

しかしながら、原町事件における申請人両名らの行為は、これに関するビラ配付、立看板の違法性を判断する前提となり、また本件解雇の情状として考慮することは許されると解すべきであるから、進んで同事件における申請人両名らの行為について判断することとする。

(2) 本件団体交渉の申入れは、労組から中野支店長に対してなされたものであるが、中野支店長は、原町支店における被申請金庫の窓口として労組と団体交渉する権限を有するのであるから(前記協定第二条も支店長の交渉権限を全く認めない趣旨とは到底解することができない。)、自ら管理処分できる事項については勿論、権限を越える事項についても労組の意向を本部に具申して善処すべきであり、その限度で交渉に応ずべき義務があるものと解すべきところ、労組が申し入れた前記交渉事項のうち、差別待遇の件は同支店長が自ら管理処分できる事項であり、また出納現金取扱いの件は、成立に争いない乙第三五号証によつて認められる出納事務取扱細則によれば、支店長もこれを取り扱うことができる趣旨であるから、労組からこれを禁止するよう要求されてもいかんともしがたい問題であり、権限外の問題であるけれども、支店長として右細則の改正等の右取扱いの善処方を本部に具申することは可能である。そして、労組としては、同支店長が差別待遇するならば、団結権に関する問題となり、出納係の現金を支店長が取り扱うことは、その結果出納事故が発生すれば出納係が問責される可能性があり、労働条件に関する問題となるので、同支店長に事実確認方と善処方を求める権利を有する。

そして、労組が申し入れと同時に団体交渉に応ずるよう要求した点は、前記協定第三条の事前申し入れの趣旨には反するけれども、証人日野三千人の証言によれば、従前中野支店長は、特別な方式を定めず適宜労組執行委員ないし同支店労組員との団体交渉に応じており、現に前日中川らの申し入れに直ちに応じて団体交渉しているうえ、労組が申し入れた団体交渉事項は前日中川らと交渉したのと同一事項であり、改めて態度決定のため交渉を延ばさなければならない実際上の必要もなかつたわけであるから、労組が同支店長に直ちに交渉に応ずるよう要求したのは不当であるとはいえない。また、労組は、原町支店に赴く直前まで本部において他の事項について団体交渉をしていたのであるから、その席上被申請金庫に同支店長の右問題を提起すべきであつたともいえるが、右の本部で団体交渉のあつた事実は同支店長の知らなかつたことであり、労組として同支店長本人に事実確認方と善処方を求めようとしたこともたゞちに不当とはいゝ難い。したがつて、同支店長が十分な回答をしないまま強いて帰宅しようとしたのは義務を尽くさなかつたものというほかない。

したがつて、申請人両名らが、同支店長に帰宅を延ばし即時団体交渉に応ずるよう説得する方法として、同支店長に対し口々に前記内容の言葉をかけて迫つたとしても、同支店長の帰宅に固執する態度に照し、自然の勢いとして認容される範囲内の行為というべきである。

そして、日野が三回にわたり同支店長の腕をとり、また木村が二回にわたり同支店長の胸を突いた行為は説得の方法として認容される範囲を逸脱した行為であるが、日野、木村の右行為は同支店長の前記の不当な団交拒否の態度に刺激されて為されたもので、その動機において同情すべきものがあり、その行為の態様も偶発的、瞬間的で軽度のものであつたから、その違法性は軽微なものというべく、特に暴行罪として刑事責任を追求される程度の違法性は、これを欠いていたものというべきである。

(3) そこで、さらに申請人両名が日野、木村の右行為につき責任を負うか否かについて判断するに、労働組合幹部は、その地位にあることから直ちに組合員の組合活動中の違法行為につき責任を負うべきものではなく、組合員の違法行為を阻止しえたのにこれを阻止せず、組合員の違法行為を企画、決定、指導したような場合にはじめて責任を負うものと解すべきところ、日野、木村の前記行為は偶発的かつ瞬間的なもので、申請人両名がこれを制止しうる位置関係にあつたものと認めるに足る疎明はなく、日野、木村の行為自体前記のとおり違法性を欠くものであるから、申請人両名は、日野、木村の前記行為につき責任を負うべき理由はないものというべく、したがつて原町事件における申請人両名の行為には、もともと非難さるべきところはないものといわなければならない。

(4) つぎに、申請人両名の指導した原町事件についての前記ビラ、立看板の配付、掲示の当否についてみるに、一般的に労働組合が、争議中であると否とを問わず、自己の主張をビラ、看板等で公にして啓蒙宣伝活動をすることは、自由であり、その内容についていえば、使用者を批判攻撃するものであつても、客観的事実と著しく相違するとか、著しく侮辱的言辞を用いるとかしていない限り、それによつて企業が若干不利益を受けることがあつたとしても、正当な宣伝活動であると解すべきである。

そして、以上の観点からビラ一ないし五、七、九、立看板、ないし三、六ないし八、一二ないし一四の内容を検討するに、その述べる原町事件の経過は前記認定事実とほゞ符合し、たゞ日野、木村両名は、中野支店長に何等暴行を加えていないにもかかわらず、暴行を加えたものとデツチ上げられたという部分は、事実と相違するが、右両名の行為は本来違法性が軽微で、暴行罪として予想される程度の違法性を欠くものであり、右可罰的違法性の欠如により暴行罪につき右両名を無罪とする判決が確定したことを考慮すると、右部分も根拠がないわけではない。また、右両名の逮捕、起訴は被申請金庫、門司警察署、福岡地検小倉支部が一体となり意図した労組弾圧であるとする部分も、右三者の各措置が折から第三次争議中の労組に打撃を与える結果となつたという限度で事実に符合するばかりでなく、労組が前記認定の当時の状況の下において右結果は右三者が一体となり労組弾圧のため意図したところであると判断したとしても、たゞちにこれをとがめることはできない。そして、全体を通じ穏当を欠く辞句もないわけではないが、前記認定の当時の状況に照し、若干非難的語調となることはやむをえないところであり、著しい侮辱的言辞も見当らない。

したがつて、右ビラ、立看板の配付、掲示について申請人両名を問責することはできない。

二、貯金箱事件

(一)  貯金箱事件の事実

当事者間に争いのない事実および前掲甲第一〇の一ないし六、第一一ないし第一三、第四四、第六七号証、乙第六号証の二、第七号証の一ないし四、第八号証の一ないし四、第五一号証の一、二、第五六号証の一、二証人日野三千人、同木村昌稔(第一回)、同横井和江、同向田一郎、同近藤善次郎の各証言、同藤本茂雄、同遠藤正己、同林定吉、同中野利治、同有角正己、同草場利武、同三村脩の各証言および申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 労組は、昭和三八年三月から第二次争議に入つていたが、同年八月頃から、その戦術の一環として、資金カンパのための高さ約三〇糎、底辺の一辺約一〇糎の三角錐の紙製貯金箱を作成し、その各面に宣伝活動のために、「不当解雇反対」、「不当弾圧反対」、「不当処分絶対反対」、「不当処分反対」、「差別賃金体系反対」、「差別待遇反対」、「金庫のガンを除け」、「金庫を民主化しよう」、「金庫民主化」、「地元の金は地元に還せ」、「勝利の日までがんばるぞ」、「早期解決を望む」、「早期解決」、「貯蓄推進」、「祝創立四〇周年」等のスローガンを記入して、これを労組員の執務する事務机上に立てる貯金箱戦術を実施した。

(2) 被申請金庫は、労組の貯金箱戦術を、被申請金庫を中傷誹謗し、その施設管理権を侵害し、あるいは来客に不快感を与えるものであつて、その業務を妨害する違法な争議行為であると判断し、再三労組に対し貯金箱の撤去を要求し、併せてこれに応じなければ労組執行部および労組員を処分し、被申請金庫において撤収する旨警告したが、労組は、貯金箱戦術は適法であると反駁し、同戦術を続けた。

(3) 被申請金庫は、管理職等が分担して貯金箱を撤収することに決定し、次のとおり、これを実施した。

(イ) 専務代表理事三浦実次、理事兼総務部長森川卓馬、本部人事係長藤本茂雄は共謀して、昭和三八年八月二七日午後四時頃本店において、労組員岩松和好の貯金箱(現金一三九円在中)、福田裕子の貯金箱(現金一一円在中)を次々と机上から取り上げ、岩松、福田が返還を要求すると「とにかく預つておく。」等と威圧的言動で脅迫し、次に日野洋子が胸に抱いて拒む貯金箱(現金六三円在中)を強引に取り上げ、さらに古田洋子の机上から貯金箱(現金四八円在中)を取り上げようとして拒否されるや、「出しなさい。」等と怒鳴りつけて掴み取り、さらに離席していた赤沢国寛、吉本樛子、日野三千人、野村順子、今城悦子の貯金箱(今城悦子の貯金箱を除き、現金四円ないし一二三円在中)を次々と机上から取り上げた。

(ロ) 大里支店長林定吉、本部企画課長次田司は共謀して、同日午後四時一〇分頃、大里支店において、次田は、川崎紀子が両手で握りしめて拒む貯金箱(現金一一五円在中)を両腕をときはずすようにして取り上げ、林は、井原和江の貯金箱(現金一九四円在中)を取り上げ、次いで山本玲子が胸に抱いて拒む貯金箱(現金一五円在中)をもぎ取るようにして取り上げ、さらに門野ミキ子が胸に抱えこんで拒む貯金箱を後方から取り上げようとし、諸藤ツタエが両腕に抱いて拒む貯金箱をその両腕をはずして取り上げようとし、溝部恵子が抱きかかえて拒む貯金箱を背後から肩越しに取り上げようとし、溝部が抵抗すると、さらに「渡さないと処分するぞ。」と脅迫したが、いずれも取り上げることができなかつた。

(ハ) 本部総務課長遠藤正己、小森江支店長宮元一士は共謀して、同日午後四時一〇分頃小森江支店において、宮元一士は、後藤鶴子の背後から机上の貯金箱(現金一五六円在中)を取り上げ、さらに離席していた河野次郎の机上から貯金箱(現金二〇六円在中)を取り上げ、遠藤正己は、いきなり清藤麗子の机上の貯金箱(現金一〇〇円在中)を取り上げ、清藤が返還を要求すると、「文句があつたら、本部に言え。」と怒鳴りつけ後藤の手を振り払つた。

(ニ) 本部検査室長草場利武、業務部長近藤治彦、本部有角人事課長、桜町支店長水上宣夫は共謀して、同日午後四時頃桜町支店において、井上美恵子の机から貯金箱(現金数一〇円在中)を取り上げ、井上が返還を要求するや威圧的態度で断り、さらに離席していた木村昌稔、宇津井裕の各机上から貯金箱(在中金不明)を取り上げ、帰店した木村が返還を要求すると、三名で木村を取り囲んで有角が「とにかく預つて行く。」と断り、木村が右手で有角から風呂敷に包まれた貯金箱を取り戻そうとしたところ、有角は「風呂敷を破ると器物損壊罪で訴えるぞ。」と脅迫し、近藤は、木村の右手首を掴まえ、「文句があるか、文句があるなら後で言え。」等と放言した。

(ホ) 被申請金庫は、同日以上合計貯金箱一八個のほか労組員の机上から貯金箱三〇個を撤収した。

(4) 被申請金庫は、撤収した貯金箱四八個のうち、二六個を即日仮還し、二二個については翌二八日警察官、申請人氏家立会いのもとに投入口に封印を施したうえ、本店金庫に収納した。

(5) 労組は、被申請金庫から貯金箱を撤収された後も新たに貯金箱を作成して、これを第二次争議が終結した昭和三八年一〇月二三日まで立てていた。

(6) それから一年以上経過した昭和三九年一〇月六日原町事件が発生し、中野支店長の告訴により同月一四日労組員日野三千人、木村昌稔が逮捕されたが、労組は、右両名は起訴されれば懲戒解雇されると判断して、不起訴にすべく被申請金庫に告訴の取下を要求したが、拒否され、またその他の同事件関与者に対しても大量懲戒処分されそうな緊急事態に追い込まれた。

そこで、申請人両名は、強硬な被申請金庫に対抗するため、警察は被申請金庫が貯金箱を撤収した際、これを知りながら、捜査せず、今回の中野支店長の告訴については直ちに右両名を逮捕したのは不公平であるとして、同月二七日共闘会議々長那波公明、同事務局長小南唯広等同会議傘下労働組合幹部一一名とともに、前記貯金箱撤収を強盗、同未遂、恐喝、窃盗、暴行、脅迫、強要および暴力行為等処罰に関する法律違反各被疑事件として、理事長三浦実次、森川卓馬、近藤治彦、草場利武、有角正己、次田司、林定吉、遠藤正己、水上宣夫、宮元一士、藤本茂雄の一一名を告発した。

(7) 同月二八日朝日新聞に別紙新聞記事目録一記載の記事(以下記事一という。乙第九号証の二)、同月二九日新九州に別紙新聞記事目録二記載の記事(以下記事二という。乙九の一)が掲載された。

(8) また、労組は、共闘会議と連絡協議のうえ、右貯金箱撤収事件について、次の日時に、次のような共闘会議名議のビラを街頭等で一般市民に配付し、次の日時に被申請金庫の本支店の正面玄関横に、次のような共闘会議名義の立看板を立てたが、申請人両名は、労組正副執行委員長としてこれらを企画、決定、指導した。

(A) ビラ

昭和三九年一二月一八日頃別紙ビラ目録六記載内容のビラ(以下ビラ六という。乙第八号証の三、甲第四四号証)

(B) 立看板

(イ) 同年一一月五日頃本店立看板二

(ロ) 同月一六日頃桜町支店立看板三

(ハ) 同月二八日頃本店別紙立看板目録第四記載内容の立看板(以下立看板四という。乙第八号証の二、甲第一四号証)

(ニ) 昭和四〇年二月二三日本店立看板七

(9) 被申請金庫が本店金庫に収納保管していた貯金箱二二個は、昭和三九年一一月一六日門司警察署に任意提出され、同月一〇日頃までに労組員に還付された。

(10) 検察官は、昭和四〇年九月三〇日前記被疑事件を嫌疑なしとして不起訴処分にした。

(11) 申請人両名外前記一一名は、検察官の不起訴処分につき小倉検察審査会に審査を申し立て、同審査会は、昭和四二年二月一五日三浦実次以下一一名が前記のとおり各労組員の意に反して貯金箱四八個を撤収し、その際一部労組員に暴行脅迫を加えた事実は認められるが、不法領得の意思がないから、強盗、同未遂、恐喝および窃盗の各罪を構成せず、また右暴行、脅迫は暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項に該当するが、起訴猶予処分を相当とするとして、検察官の不起訴処分を相当とする旨議決した。

以上の事実が認められ、証人藤本茂雄、同遠藤正己、同林定吉、同中野利治、同有角正己、同草場利武、同三村脩の各証言中右(3)の認定に反し労組員に暴行、脅迫を加えていない趣旨を供述する部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆すにたる疎明はない。

(二)  申請人両名の右行為に対する判断

(1) まず、右貯金箱戦術の記入スローガンの内容の当否についてみるに、その当否は前記第三の一の(二)の(4)のビラ、立看板についての一般的観点から判断すべきであるが、右記入スローガンは、いずれも具体的事実を摘示するものではないから、客観的事実と著しく相違するというところはなく、被申請金庫の経営方針、特に労組対策の不当性を批判抗議し、その推進者である理事者らの退陣を要求する趣旨のものもあるが、いずれのスローガンも著しく悔辱的言辞であるとはいえない。したがつて、右スローガンの内容は不当であるとはいえない。

(2) つぎに、一般に使用者の意思に反して右貯金箱の如きものを従業員の執務する事務机上に立てることは、使用者の施設管理権を侵害するものではあるが、一方労働組合には宣伝活動の自由があり、ことに企業内組合においてはある程度企業の施設を利用せざるをえない場合があるから、右貯金箱戦術もそれが使用者の意思に反するというだけでただちに違法なものとすべきでなく、使用者のそれによる業務運営、職場秩序の維持上の支障と労働組合のその必要性に、その当時の争議の実態等を総合して、その違法性を決すべきである。そして、右貯金箱は、その数はかなり多数にのぼるが、各労組員の執務する机上に立てられ、場所的に当人およびその他の従業員の執務に特に影響を与えるものではないから、来客の中にこれに若干不快感を抱いたものがあつたとしても、前記第二認定の争議経過に照し、貯金箱戦術は企業内組合である労組の宣伝活動として許される範囲に属し、これをもつて被申請金庫の施設管理権を不当に侵害する違法なものということはできない。

(3) そうすると、被申請金庫が労組に貯金箱撤去を要求するのはともかく、昭和三八年八月二八日労組および労組員の反対を押しきり、前記のとおり貯金箱の撤収を強行したのは、貯金箱を保管するだけでこれを利用するためでなかつたとしても、労組員の貯金箱に対する所有権の侵害として違法なものであり、さらに撤収に際し労組員に対し加えられた前記暴行、脅迫もそれ自体違法なものであつたといわなければならない。

(4) ところで、申請人両名らは、一年以上経過した昭和三九年一〇月二七日になつて、あえて被申請金庫の貯金箱撤収を告発したのであるが、その時点においても、右撤収行為自体の違法性が消滅してしまつたとはいえないばかりでなく、第二次争議が同年一〇月二三日一応終結した後も、労組は、引き続き就業規則変更反対、協力手当金支給、労働協約解約反対、土井啓司再採用要求等について闘争を継続し、昭和三九年二月から第三次争議に入り、次第に被申請金庫との対立、抗争を深め、殊に中野支店長が原町事件における日野、木村の前記暴行、脅迫を告訴したことにより、同年一〇月一四日右両名が逮捕され、被申請金庫に告訴取下を要求したが、拒否され、もし起訴されれば、懲戒解雇されそうな緊急事態に追い込まれたのであるから(前記のとおり昭和四〇年一月一四日起訴されたが、被申請金庫は案の定同年二月二日右両名を懲戒解雇に付している。)、申請人両名らが、警察が右両名の追求を急いで、被申請金庫側の貯金箱撤収強行を知りながらこれを捜査しないのは公平を欠くと判断し、これを正し、かつ告訴を取下げない被申請金庫に対抗するため、既に一年以上経過した右貯金箱撤収強行を取り上げてこれを改めて告発したとしても、これをもつて必ずしも、不当なものということはできない。

(5) 前記記事一、二の新聞記事は、告発の事実およびその内容を客観的に伝えるだけで何等事実を歪曲していないばかりでなく、証人草場利武の証言によつても、申請人両名らがことさら右新聞社に告発の事実を通告したものとは認められず、右各新聞記事は、申請人両名らの正当な告発行為自体が有するニュース価値の当然の結果というほかなく、もとよりこれをもつて申請人両名を問責することはできないものというべきである。

(6) つぎに、申請人両名の指導した貯金箱撤収事件についての前記ビラ、立看板の内容の当否についてみるに、その当否は前記第三の一の(二)の(4)の一般的観点から判断すべきであるが、右内容は、前記認定事実とほゞ符合しており、穏当を欠く辞句もないわけではないが、前記認定の当時の状況に照し、若干非難的語調となることはやむをえないところであり、著しい侮辱的言辞も見当らない。したがつて、右ビラ、立看板の配付、掲示について申請人両名を問責することはできない。

三、オリンピック記念銀貨事件

(一)  オリンピック記念銀貨事件の事実

当事者間に争いのない事実および前掲甲第四四号証、第九五号証、乙第五号証の四、七、第八号証の一、三第九号証の一、二、第一一号証の一ないし五、同第四六号証、証人日野三千人、同林定吉、同遠藤正己、同有角正己、同中野利治、同草場利武の各証言、申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、右認定を覆すに足る疎明はない。

(1) 日本銀行は、被申請金庫を含む全国の金融機関にオリンピック記念一、〇〇〇円銀貨を割当てて昭和三九年一〇月二日、二九日の二回にわたり店頭交換を行わせることにしたが、右実施に先立ち各取扱機関に次のような通達を出した。

オリンピック記念一、〇〇〇円銀貨の取扱いの条件

1 一般希望者(非得意先も含む)に対し、割当全量を窓口において一人一枚限り引換えることとし、これ以外の方法による払い出しは一切行わないこと。

(注)1 引換えにあたつては、引換開始日から全量をこれに充てること。

2 事前の予約受付を行なわないこと。

2 略

3 引換開始は、同一日、同一時刻を期して全国各窓口において一斉に行なうこと。

(注) やむを得ない事情のため、この期日に遅れて引換を開始する場合は、当該取扱機関はあらかじめ本行に報告すること。

4 取換機関の各店舗別配分は、やむを得ない場合を除き所定の配分方法によることとし、かつ店舗別配分枚数を本行に報告すること。

(注1) 店舗別配分が所定の方法により得なかつた場合は、前記報告に説明書を添付すること。

(注2) 略

5 略

(2) 右通達を受けた被申請金庫は、予じめ本部営業部長近藤治彦を通じ店長会議等において各店長に対し右通達遵守を指示した。

(3) ところが、桜町支店長遠藤正己は、昭和三九年一〇月一日同支店長代理の申請人小橋から、集金係、得意先係が得意先から優先的に割当ててほしいという要望を受けているから考慮してほしい旨の進言を受けるや、これを了承し、要望枚数を調査したうえ、翌二日の第一回店頭交換分として同支店に配分された銀貨二四三枚のうち六〇枚を控除して得意先に割当てることを決定指示したが、翌二日午前九時から行われた店頭交換の際手違いが加わつて、前記通達1項に違背し、合計銀貨一二五枚を残す結果となつた。

(4) さらに、大里支店長林定吉も、昭和三九年一〇月一日集金係、得意先係、預金係数名から得意先から優先的に割当ててほしいという要望を受けたから考慮してほしい旨の進言を受け、同支店長代理上杉義弘(従組結成当時の副組合長)からも、従業員が要望を受けているし、割当ててくれないなら、八〇名でも一〇〇名でも部下を店頭に並ばせて銀貨の交換を受けるという強硬な得意先もいるから、店頭の混雑を緩和するためにも、得意先に優先的に割当てる枚数を控除した方が良策である旨進言を受けるや、同支店長代理森貞雄(同組合長)、同川端学(同副組合長)も加えて右三名と相談したうえ、要望枚数を控除することとし、要望枚数を調査のうえ、翌二日の第一回店頭交換分として同支店に配分された銀貨二八五枚のうち二七枚を控除することを決定指示し、申請人氏家の抗議にもかかわらず、上杉から申請人氏家を含む全従業員が右控除を納得した旨報告を受けるとこれを軽信し、前記通達1項に違背し、翌二日銀貨二七枚を交換に廻さなかつた。

(5) 本部営業部長近藤治彦は、右交換当日各店の引換状況を巡視し、窓口締め切り後桜町支店で一二五枚、大里支店で二七枚の交換されてない銀貨を発見したが、各店長らを叱責し、右銀貨を同月二九日の第二回店頭交換分に加えるように指示しただけで、その後被申請金庫は、残留銀貨が出たことおよびその取扱いについて日本銀行北九州支店に報告せず、前記通達3、4項に違背した。

(6) 申請人両名らは、労組として、第二認定の争議経緯のとおり当時第三次争議中であつたが、中野支店長が原町事件に関し日野、木村の行為を暴力行為として告訴したことにより、同月一四日右両名が逮捕され、被申請金庫に告訴取り下げを要求するも、拒否され、さらに右両名に対する懲戒解雇その他大量処分に発展しかねないという緊急事態に追い込まれたところから、共闘会議と連絡を取り、その支援のもとに、被申請金庫が労組員に対し厳格な態度で臨みながら、自らの銀貨交換残しの責任を有耶無耶にしているので、この際前記貯金箱撤収強行とともに、本件銀貨残留の問題を取り上げてこれを糾明追求し、強硬な被申請金庫と対抗することを決定し、その概要を調査したうえ、被申請金庫との団体交渉においてその幹部責任を追求する一方、同月二八日日本銀行北九州支店に被申請金庫幹部が銀貨を隠匿しこれを横流しした旨申告して、その調査および善処方を要望し、また各新聞社に被申請金庫幹部は桜町支店で一二五枚、大里支店で三〇枚、小森江支店で四三枚を隠匿してこれを横流しした旨通報した。

これに対し被申請金庫理事長三浦実次、本部総務部長草場利武らも故意に隠匿した事実はない旨公表し、また従組組合長三村脩も労組のやり方はモラルに反する旨公表した。

(7) その結果労組から報告を受けた日本銀行九州支店は、被申請金庫に厳重注意して顛末書の提出を求めるとともに、同年一〇月二九日の第二回窓口引換に際し残留銀貨も併せて交換するよう指示し、被申請金庫はこれに従つて同日残留銀貨を店頭で交換した。

(8) また昭和三九年一〇月二八日朝日新聞に記事一、毎日新聞に別紙新聞記事目録三記載の記事(以下記事三という。乙第一一号証の一)、同四記載の記事(同記事四、乙第一一号証の三)が掲載され、同月二九日新九州新聞に前記記事二、夕刊フクニチに同五記載の記事(同記事五、乙第一一号証の二)、西日本新聞に同六記載の記事(同記事六、乙第一一号証の四)が掲載され、さらに同月三一日毎日新聞に同七記載の記事(同記事七、乙第一一号証の五)が掲載された。

(9) また、労組は、共闘会議と連絡協議のうえ、右オリンピツク銀貨事件について、次の日時に、次のような共闘会議名義のビラを街頭等で一般市民に配付し、次の日時に被申請金庫の本店の正面玄関横に、次のような共闘会議名義の立看板を立てたが、申請人両名は、労組正副執行委員長としてこれらを企画、決定、指導した。

(A) ビラ

(イ) 昭和三九年一一月頃ビラ四

(ロ) 同年一二月一八日頃ビラ六

(ハ) 昭和四〇年二月頃ビラ七

(B) 立看板

昭和三九年一一月五日頃立看板二

(10) 被申請金庫は、昭和三九年一一月一四日本件につき近藤治彦を譴責、遠藤正己、林定吉を減給の各懲戒処分に付した。

(二)  申請人両名の右行為に対する判断

(1) 前記認定のとおり被申請金庫にオリンピツク銀貨の不当取扱いのあつたことは事実であつたのであるから、申請人両名がこれを日本銀行北九州支店に申告したことは、前記認定の当時の争議状況に照し、たゞちに不当とするわけにはいかない。なお、既に横流し「された」旨の申告は事実に反するが、被申請金庫が本件の全貌を明らかにしない状況のもとにおいては、この程度の誇張をたゞちにとがめることは相当でない。

(2) もつとも、申請人小橋は、右不当取扱いの進言をしながら、右申告に及んだ点において、不公正の非難を免れず、前記の新聞社への通報、ビラ、立看板の配付、掲示も同様であるが、この事件について最も問責さるべき者は、筋違いの進言に易々として同意し、得意先に割当てる分として銀貨を控除することを決定指示した桜町支店長遠藤正己、大里支店長林定吉および右両支店長を十分監督しなかつた本部営業部長近藤治彦の被申請金庫幹部であり、さればこそ被申請金庫も、本件につき近藤、遠藤、林の幹部三名を懲戒処分に付しただけで、申請人小橋ら支店長代理以下の職員を懲戒処分に付しなかつたものといわなければならない。さらに、本件においては、申請人小橋は、個人として被申請金庫幹部の責任を糾明したのではなく、労組が共闘会議とも連絡協議のうえ前記争議状況に照し右申告をするについて、労組幹部として関与したものであることを考慮すべきである。

(3) つぎに、申請人両名らが前記各新聞社に通報し、その結果記事一ないし七が掲載された点について判断するに、幹部の業務上の非行という企業内の事柄についてを新聞社に通報することは、真相糾明の方法として必ずしも適当でないばかりでなく、その広報力により時として非行者に必要以上の社会的制裁を与える結果になるけれども、本件は単なる被申請金庫内部における業務上の非行に止らず、国民が公平にオリンピツク記念銀貨を入手できるように予め前記のとおり通達されていた計画が金融機関において遵守されなかつたという点において公共的な性格を帯びているから、新聞に公表されたことが被申請金庫にとつて不快であり、その社会的信用を損うからといつて、直ちにこのことについて申請人両名を問責することはできない。

なお、前記各新聞に掲載された記事一ないし七を通じて労組側が提供した具体的事実関係がそのまま掲載された部分のうち、前記認定の事実と相違する点は、大里支店で「三〇枚」、小森江支店で「四三枚」の銀貨が店頭交換に廻されなかつたという部分および得意先に既に横流し「された」という部分だけで、他の点は事実と符合し、右掲載部分は全体として被申請金庫において百数十枚の銀貨が店頭交換に廻されない結果となり、しかもその過半数は二支店長の決定指示により得意先に優先的に廻す予定で殊更店頭交換分から控除されていたという本件の基本的事実関係とほぼ符合しているので、この程度の事実との相違はたゞちにとがめるには当らない。

(4) さらに、申請人両名の指導したオリンピツク銀貨事件についてのビラ、立看板の内容の当否についてみるに、その当否は前記第三の一の(二)の(4)の一般的観点から判断すべきであるが、右内容は前記認定の事実と反するところはなく、著しい侮辱的言辞も見当らない。したがつて、右ビラ、立看板の配付、掲示について申請人両名を問責することはできない。

四、総代会事件

(一)  総代会事件の事実

当事者間に争いのない事実および前掲乙第一二号証の一、二、第一三号証の一、第一六号証の三、第五九号証、証人近藤善次郎、同藤本茂雄、同中野利治、同林定吉、同草場利武の各証言、申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問結果および弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、右認定を覆すにたる疎明はない。

(1) 被申請金庫定款によれば、会員全員による総会が任期三年(第二〇条)の理事を選任し(第一七条第二項)、理事会が理事長等の代表理事を選任する(第一八条第二項)ことになつているが、総会に代るべきものとして総代会が設置され(第二四条第一項)、その構成員たる総代は定員八〇名、任期三年(第二五条第一、二項)であるが、総代の委嘱は、理事長が理事会の議決により総代せんこう委員を委嘱し(第二七条第三項)、同委員が会員のうちから(第二四条第二項)総代候補者をせんこうし(第二八条第一項)会員の異議(第二八条第三項)が三分の一に達しないときは、理事長が当該総代候補者を総代に委嘱する(第二九条第一項)という手続を経て行われることとなつている。

(2) 昭和三九年三月以来の第三次争議は昭和四〇年四月に入つても解決の見通しがたたなかつたが、同年が総代、理事(理事長)の改選期にあたり、殊に総代は前記のとおり被申請金庫機構上総代会を通じて理事を選任する等重要な権限を有するところ、総代会招集に先立ち、折から新総代委嘱の手続も進められていたので、労組は、総代の権限に期待し、これを説得して第三次争議を有利かつ早期に解決するため、共闘会議とも連絡協議のうえ、昭和四〇年四月一五日頃総代八〇名に別紙総代会文書目録一記載の文書(以下文書一という。乙第一二号証の一)を郵送した。

(3) 従前総代であつた申請人小橋の実父小橋孝一、労組執行委員木村昌稔の実父、労組員赤沢国寛の実兄は今回の総代に委嘱されなかつた。

(4) 労組は、昭和四〇年五月九日招集の総代会当日会場付近において出席した新総代約六〇名に別紙総代会文書目録二記載の文書(以下文書二という。乙第一二号証の二)を配付した。

(5) 申請人両名は、労組の右二回にわたる労組の文書配付を企画、決定、指導した。

(6) 右総代会の理事選任等の議事は支障なく進められ、文書一、二の内容に関し総会から質問があつたが、理事長の答弁で収められた。

(二)  申請人両名の右行為に対する判断

(1) 申請人両名が指導して配付した右文書一、二の内容の当否については、前記第三の一の(二)の(4)の一般的観点から判断すべきであるが、文書一、二の配付の相手方は前記のとおり被申請金庫の内部機構上重要な権限を有する総代であるから、その内容において前記観点から不当とされるところがないならば、労組の執行部として申請人両名が総代に対し文書を配付することは、その自由な宣伝活動であるばかりでなく、必要な宣伝活動でさえある。

(2) そこで、文書一、二の内容を検討するに、まず、文書一についてみるに、第三次争議の争点すなわち(1)被申請金庫の労組切崩し、(2)被申請金庫の労組に対するクリスマス・パーテイー費、預金増強協力手当金の各不払い、(3)昭和三九年賃上げ未妥結、(4)土井啓司再採用に関する裏確認不履行、(5)河野次郎に対する減給処分、(6)日野三千人、木村昌稔に関する原町事件についての労組の主張の記述は、ほゞ事実と符合し、理事長が総代選任等について工作を進めていると指摘する部分も、小橋孝一らが新総代に委嘱されなかつた結果に照し、強ち根拠がないことではないし、被申請金庫に警察官がしばしば出入し、被申請金庫側が警察官を接待していると指摘する部分も、証人日野三千人、同木村昌稔(第一回)によつてその事実が認められるから、全く根拠がないとはいえない。

(3) つぎに、文書二についてみるに、日野、木村に関する原町事件、オリンピツク記念銀貨事件についての労組の主張の記述は、ほゞ事実に符合し、被申請金庫の現理事者が争議解決に無能力であり、経営者として適格でないとする部分は、現理事者を中傷誹謗するものではなく、労組の要求を容れない現理事者の労務管理が争議を長期化させているという趣旨を端的に表現せんとしたものであることは前後の脈絡から明らかであるし、理事者が意のままに貸出しをし、これをこげつかせ、門司警察署で内調査が進められているという部分も、成立に争いのない甲第九八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一〇〇号証、証人草場利武の証言、申請人氏家豊成本人尋問の結果によれば、被申請金庫は双信化学工業株式会社、門司ロープウエイ株式会社に各数千万円を貸付けていたが、昭和三九年三月前者が、昭和四〇年後者がそれぞれ倒産し、右貸付金の回収が困難ないし不能となつたこと、特に門司ロープウエイに対する貸付については被申請金庫理事長らに不明朗な点があると新聞に報道され、昭和四〇年一一月頃門司警察署員が被申請金庫に出入し右の点を調査していたことが認められるから、根拠がないわけではないし、現理事長が労組派総代を殊更委嘱しなかつたとする部分も、前記のとおり小橋孝一らが新総代に委嘱されなかつた結果に照し、強ち根拠のないものとはいえず、その他根拠のない全くの虚構事実を指摘する部分はない。

(4) 以上のとおり文書一、二の内容は、その指摘する具体的事実も根拠がないわけではなく、その表現が、すでに一年以上を経過した第三次争議を労組に有利に解決せんものと若干非難的語調となってはいるものの、著しく侮辱的言辞を用いているとはいえない。したがつて、右文書一、二の配付について申請人両名を問責することはできない。

五、第三者誹謗

(一)  第三者誹謗とされる事実

当事者間に争いのない事実および前掲甲第八号証の一、二、第一四号証、第一六号証の一ないし四、第四四号証、乙第五号証の一ないし六、第六号証の一ないし四、第八号証の二、四、第一三号証の一、三ないし五、証人日野三千人、同木村昌稔(第二回)の各証言、申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果によると、次の事実が認められ、右認定を覆すにたる疎明はない。

労組は、共闘会議と連絡協議のうえ、次の日時に次のような共闘会議名義のビラを街頭等で一般市民に配付し、次の日時に被申請金庫の本支店の正面玄関横に、次のような共闘会議名義の立看板を立てたが、申請人両名は、労組正副委員長としてこれらを企画、決定、指導した。

(A) ビラ

(イ) 昭和三九年一〇月頃ビラ一

(ロ) 同月一四日頃ビラ二

(ハ) 同月一五日頃ビラ三

(ニ) 同年一一月頃ビラ四

(ホ) 同年一二月頃ビラ五

(ヘ) 昭和四〇年一月頃ビラ七

(ト) 同月頃別紙ビラ目録八記載内容のビラ(以下ビラ八という。乙第一三号証の一)

(B) 立看板

(イ) 昭和三九年一〇月一九日頃原町支店立看板一

(ロ) 同年一一月一六日頃桜町支店立看板三

(ハ) 同月二八日頃本店立看板四

(ニ) 昭和四〇年一月一四日頃場所不明別紙立看板目録五記載内容の立看板(以下立看板五という。甲第一六号証の二)

(ホ) 同年二月九日頃本店立看板六

(ヘ) 同月二三日頃本店立看板七

(ト) 同年三月二六日頃本店立看板八

(チ) 同年四月一五日頃本店別紙立看板目録九記載内容の立看板(以下立看板九という。乙第一三号証の三、甲第一六号証の三)

(リ) 同年五月一八日頃本店別紙立看板目録一〇記載内容の立看板(以下立看板一〇という。乙第一三号証の四、甲第一六号証の四)

(ヌ) 同年七月三日本店、桜町支店別紙立看板目録一一記載内容の立看板(以下立看板一一という。乙第一三号証の五、乙第一四号証の一三、一四)

(ル) 同年九月三〇日頃本店立看板一三

(二)  申請人両名の右行為に対する判断

(1) 申請人両名の指導した右ビラ、立看板の内容の当否についても、前記第三の一の(二)の(4)の一般的観点から判断すべきであるが、使用者でない第三者に対しては、使用者に対してよりより慎重な配慮が求められるべきである。

(2) 右観点から前記ビラ、立看板の内容について検討するに、立看板九、一〇を除く右ビラ、立看板は、原町事件による日野、木村両名の逮捕、起訴が不当であるとして、門司警察署、福岡地方検察庁小倉支部を非難したり、これに関連して、門司警察署員が被申請金庫施設に頻繁に出入りしたり、労組員を怒鳴りつけているとしたり、警察官の門司警察署その他の警察署で不祥事を起している事例等を掲げて警察一般に対する不信の念を訴えたりしているが、日野、木村両名の逮捕、起訴を非難する部分は、前記第三の一の(二)の(4)の判断と同様たゞちにこれをとがめることはできず、その余の事実摘示部分も、成立に争いのない甲第七七ないし九〇号証、証人日野三千人、同木村昌稔(第二回)の各証言、申請人小橋紀一本人尋問の結果によつてその事実が認められるから、全く根拠がないとはいえない。

つぎに、立看板九は、労働基準監督署は、日野、木村両名ないし労組の調査を経ないという通達違反をして右両名の解雇予告の除外認定をし、被申請金庫の右両名に対する解雇に根拠を与えたと抗議非難するものであるが、証人日野三千人の証言、前掲甲第一五号証によれば、被申請金庫が昭和四〇年一月二五日日野、木村両名の解雇予告について除外認定を申請したのに対し、門司労働基準監督署長は右両名ないし労組を調査しないまま同月二七日右除外認定をしたことが認められるところ、同署長の右措置は「予告除外認定にあたつては当該事由だけについて審査することなく、必ず使用者、労働組合、労働者その他関係者について申請事由を実地に調査すべきである。」とする昭和二三年一一月一一日労働省労働基準局長名通達一、六三七号に違反するから、労組として右通達に違反した同署長の除外認定を抗議非難できることは勿論である。

立看板一〇は、労組が福岡県地方労働委員会に救済申立てた預金増強協力手当金事件について、最終審問が終つたのに、福岡県地労委が命令を下さないと抗議非難するものであるが、前掲甲第五八号証、乙第三八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第八九号証によれば、労組は昭和三八年一二月一一日預金増強協力手当金等差別待遇につき福岡県地労委に救済を申立てたが(福岡地労委昭和三八年(不)第三〇号不当労働行為救済申立事件)、右事件については、昭和四〇年二月二五日救済を申立てた福岡地労委昭和四〇年(不)第五号不当労働行為救済申立事件と併合されたこともあつて、昭和四二年四月二〇日決定があつたことが認められるから、労組が昭和四〇年五月当時昭和三八年(不)第三〇号事件についてだけでも早急に決定が下されることを期待し、右決定が下されないことを抗議非難したとしても咎むべきところではない。

そして、前記ビラ、立看板が著しく侮辱的言辞を用いているとはいえないが、各地の警察官が不祥事を起している記述等はいさゝか執拗で当を得ないものというべきである。しかしながら、これをもつて申請人両名の解雇理由とするのは相当でない。

六、立看板、赤旗掲揚

(一)  立看板、赤旗掲揚の事実

当事者間に争いのない事実および前掲甲第八号証の一、二、第一四号証、第一六号証の一ないし四、第一七号証、第九三号証の一ないし六、第九四号証の一ないし四、第一〇二、第一〇八号証、乙第六号証の一ないし七、第八号証の一、二、四、第一三号証の三ないし五、第一四号証の一ないし一九、第一五号証の二ないし八、第一六号証の一ないし五、証人日野三千人、同木村昌稔(第二回)、同向田一郎、同丸山修、同藤本茂雄、同有角正己、同林定吉、同遠藤正己、同草場利武、同三村脩の各証言、申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果によると、次の事実が認められ、右認定を覆すに足る疎明はない。

労組は、共闘会議と連絡協議のうえ、労組の団結を誇示して被申請金庫に抗議要求の意思を表明し、来客等に対し理解と支援を求めるため、昭和三九年七月頃から各本支店の正面玄関横の被申請金庫の敷地内に共闘会議名義の文書を貼付した縦約一メートル、横二メートルの看板を各一個あて立て、昭和三八年三月頃から赤旗を各本支店の正面の被申請金庫の敷地内に数本あて掲揚し、あるいは右看板、赤旗を被申請金庫の施設内に格納し、被申請金庫は、昭和三九年七月二四日付警告書、同年一一月六日付申入書、同月一九日付通告書、昭和四〇年八月二日付警告書、同年九月八日付警告書、同年一〇月二二日付申入書、同月二九日付通告書で繰返し、労組に対し無許可立看板、赤旗掲場、その格納は施設管理権を侵害し、就業規則違反となるからこれを施設外に撤去するよう要求し、併せ撤去しない場合被申請金庫において実力排除する旨警告し、その間実力で一部を排除毀損したが、労組は業務妨害とならずまた施設管理上支障ないと反論して、その後も右立看板、赤旗掲揚を続けているのであるが、申請人両名は労組正副執行委員長として右活動を企画、決定、指導した。

(二)  申請人両名の右行為に対する判断

右立看板、赤旗掲揚の当否については、前記第三の二の(二)の(2)の一般的観点から判断すべきである。そして、右立看板、赤旗掲揚は、被申請金庫の意思に反しその施設管理権を侵害するものではあるが、各本支店の正面とはいえ、右立看板は各本支店に各一個で不当に大きなものではなく、右赤旗も各本支店に数本あてに過ぎないものであるから、来客、通行人の中に若干異様、不快に感ずる者があつたとしても、前記第二認定の争議経過、先に認定の立看板の記載内容に照し、その被申請金庫の施設内への格納も含めて、企業内組合である労組の宣伝活動として許される範囲に属し、これをもつて被申請金庫の施設管理権を不当に侵害する違法なものとはいえない。

七、タイムレコーダー打刻拒否等

(一)  タイムレコーダー打刻拒否等の事実

当事者間に争いのない事実および前掲甲第一八ないし第二二、第五〇、第五八、第七〇、第七一、第八四号証、乙第一号証、第一七号証の一ないし九、第二六、第四五、第四六、第六〇号証、証人日野三千人、同横井和江、同近藤伊都子、同近藤善次郎、同丸山修、同藤本茂雄、同遠藤正己、同林定吉、同草場利武、同三村脩の各証言、申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められ、右認定を覆すにたる証拠はない。

(1) 遅刻早退手続拒否

従前従業員は口頭で遅刻早退の届出をしていたのであるが、被申請金庫は昭和三九年七月一四日所定の遅刻早退外出申請書に記入して提出するよう指示した。これに対し労組は、昭和三九年七月二一日右手続変更は過去の慣行を無視するもので、労働条件の低下を来すおそれがあると判断し、労組員に対し被申請金庫との団体交渉によつて疑問点を解消するまで右申請書の提出を拒否するよう闘争指令を出した。ところが、被申請金庫は、右手続変更は労働条件の変更にあたらないとして労組との団体交渉を拒否し、労組も、右闘争指令を撤回しないため、申請人両名も同日から右指令に従い他の労組員とともに遅刻早退について右申請書を提出していない。

(2) 名札佩用拒否

被申請金庫は、昭和三八年九月一日実施した就業規則の第四〇条に「従業員は原則として金庫章、名札等定められた徽章は定められた箇所に佩用し、貸与の事務服は着用しなければならない。」という規定を設けたが、翌昭和三九年一〇月七日に至り全従業員に名札佩用を示達し、名札を配付した。労組は、就業規則変更実施反対の闘争の一環として、同月九日労組員に対し被申請金庫との団体交渉によつて名札佩用についての疑問点を解消するまで名札の佩用を拒否するよう闘争指令を出したが、以後被申請金庫は右事項につき労組との団体交渉を拒否し、労組に右指令の撤回を求めるだけで、他方労組執行部も右闘争指令を撤回しないため、申請人両名は右指令に従い他の労組員とともに同日から名札を佩用していない。

被申請金庫は昭和四二年二月四日名札佩用拒否を理由に労組員二四名を減給処分に付した。

(3) タイムレコーダー打刻拒否

昭和三八年九月一日実施した被申請金庫の就業規則によれば、平日始業午前八時四五分終業午後五時、土曜日始業午前八時四五分終業午後三時と定められ(第二七条)、従業員は必ず始業時刻までに出勤し、自ら出勤簿に捺印し、勤務に就かなければならず(第三九条)、従業員が已むを得ず遅刻した場合は、直ちに所属長に理由を明示し届出なければならず(第四六条)、従業員が自己の都合で早退しようとするときは、予め所属長に届出でその許可を受けなければならず(第四七条)、さらに勤務成績の査定に当つてのみ原則として遅刻と早退を合算して、四回をもつて一日の欠勤とみなす(第四九条)とされているが、従来の出勤簿では出退勤時刻が記入されないため、これらの時刻を所属長が正確に把握することが困難なうえ、所属長の中には従業員が遅刻または早退した場合でもこれを遅刻または早退として取り扱わない者もあつたので、就業規則の前記出退勤に関する規定が遵守されていなかつた。

そこで、被申請金庫は、その励行に努めて来たが、実効があがらなかつたので、就労の基本である出退勤を正確に把握する必要があると認め、従来の出勤簿に代えてタイムレコーダーを設置し、従業員に出退勤時刻を打刻させることを決め、昭和四〇年七月二四日これを設置し、同時に全従業員に対し同年八月二日から使用するようにとの書面を回覧した。

そして、労組は同年七月二六日右タイムレコーダー打刻について被申請金庫に団体交渉を申し入れ、同月二九日その団体交渉が行われ、その席上労組は、昭和三八年九月一日改正前の就業規則に、営業時間終了以降は就業時間前でも業務が終了した場合に限り所属長の許可を受けて退所することができると規定されていたし、従前午前九時までに出勤すれば遅刻とは認められず、午後五時以前でも自己の担当業務が終了すれば退勤しても早退にはならないという慣行があつたが、タイムレコーダーの使用はこの慣行を無視し、従業員を時間一杯拘束しようとするものである等の理由をあげ、タイムレコーダーの使用は労働条件の変更であるとして、その協議を要求し、これに対し被申請金庫は、右慣行の存在を否定し、タイムレコーダーの使用は労働条件の変更ではないから団体交渉事項ではないと主張しその協議を拒否した。そして、被申請金庫は同日、タイムレコーダーの使用を同年八月一六日まで延期した。

その後労組は被申請金庫に対し再三タイムレコーダーの使用について団体交渉を申し入れたが、被申請金庫はこれを拒否し、同月一六日からタイムレコーダーを正式に採用した。

ところが、労組は、同日被申請金庫の右団交拒否は不当であるとして、労組員に対しタイムレコーダーの打刻を拒否するよう闘争指令を出し、申請人両名も右指令に従い他の労組員とともに同日からこれを拒否している。

さらに、労組は同年八月一四日福岡県地方労働委員会に右団体交渉拒否は不当労働行為であるとして救済申立をした(昭和四〇年(不)第一四号)が、昭和四一年六月二三日福岡県地労委はタイムレコーダーの打刻は労働条件ではないので団体交渉事項ではなく、遅刻早退を従来どおりにするようについての要求についても一応の団体交渉がなされているとして、右申立を棄却した。

そこで、労組は右棄却以後はタイムレコーダーを打刻するよう指令し、労組員もこれに従つているが、被申請金庫は同年九月二一日労組執行副委員長丸山修を支店長代理でありながらタイムレコーダーを打刻せず、労組員にこれを拒否させたとして降格処分にした。

(二)  申請人両名の右行為に対する判断

右遅刻早退外出申請書提出、名札佩用、タイムレコーダー打刻の制度は、なんら合理性を欠くものとはいえないので、従業員はこれに従うことを要し、申請人両名がこれを拒否したことは、それが個人的になされたものであれば不当なものというべきである。

遅刻早退外出申請書提出は従前の口頭で足りたものを文書に改めたものであり、名札佩用は制服着用と同じく、共に労働条件の変更というべきであるが、タイムレコーダー打刻そのものは労働条件とはいえず、これによつて正確に把握された出退勤をどう取り扱うかゞ労働条件となるものであるから、タイムレコーダー打刻は労働条件ではないがこれと密接な関連を有する事項というべきである。そして、労組は、労働条件である遅刻早退外出申請書提出、名札佩用およびタイムレコーダー打刻に関連する遅刻、早退の取扱いという労働条件について、被申請金庫に対し団体交渉を求め、被申請金庫がこれを拒否するや、団体交渉を求めて、遅刻早退外出申請書提出拒否、名札佩用拒否、タイムレコーダー打刻拒否を争議行為として指令したのであるが、右争議行為は、単なる不作為以上のものではなく、被申請金庫の業務に著しく不当な攻撃を加えるものではないし、前記第二認定の第三次争議の状況に照し、正当なものというべきである。なお、タイムレコーダー打刻、遅刻、早退の取扱いについて団体交渉が尽されたとは認め難い。したがつて、右指令に従つてした申請人両名の右各拒否行為を問責することはできない。

第四、不当労働行為

申請人両名は、本件解雇は申請人両名の正当な組合活動を理由としてなされたものであり、労働組合法第七条第一号に違反し、民法第九〇条に違反するから無効であると主張する。

一、被申請金庫が本件解雇理由に該当するとした事実

前記第三において検討したとおり、被申請金庫が申請人両名の本件解雇の理由とした事実は、いわゆる第三者誹謗の一部を除いて申請人両名を問責することはできないものであり、右第三者誹謗の一部も解雇理由としては相当でないので、申請人両名には懲戒解雇、普通解雇のいずれの理由にも該当するものはなかつたものというべきである。

二、被申請金庫管理職の労組切崩し

前掲甲第七五、第一一三号証、乙第三八号証、証人木村昌稔(第一回)、同横井和江、同向田一郎の各証言、証人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果によると、次の事実が認められ、右認定に反する乙第六一号証、証人草場利武の証言は措信し難く、その他右認定を覆すにたる疎明はない。

(一)  昭和三八年四月一六日頃本部検査室長草場利武は、労組執行委員村田順治に対し「労組、従組に関係なく公平に今まで取り扱つて来た。しかし現在においては、労組切崩しをしなければならん。君は執行委員の中でも比較的穏健だから、第二組合に行く気持はないか。」と打診した。

(二)  同月二六日、二七日葛葉支店長坂本隆成は、労組書記土井啓司宅を訪れ、同人の父土井喬に対し「第一組合におれば将来つまらんことになるから、第二組合に入るよう。」と労組脱退の説得を依頼した。

(三)  同年七月下旬小森江支店長宮元一士は、労組員後藤鶴子に対し「あんたも勤続年数も長いし、有終の美を飾る意味においても、第二組合に行きなさい。あんたは経営者からは、本名も呼ばれないで「わくど」と言われている。そんなにしてまで第一組合におらなくても、この際よく考えて第二組合に来なさい。」と勧誘した。

(四)  同年九月頃草場本部検査室長夫婦は、後藤鶴子に対し縁談を持ちかけ、結婚を勧めるとともに従組加入を勧誘したが、同女がこれを拒否するや、草場検査室長は「これから第一組合にいたら結婚問題で困るだろう。やめるにしても第一のままやめたら、それが尾を引いて行くだろう。男の人でも兄弟の就職とかで第二組合に行つた人もいるんだからよく考えなさい。」と勧誘した。

(五)  昭和三九年三月小森江支店長宮元一士は、労組員河野次郎のカブ号私用の件で同人宅を訪問した際、同人らに対し労組を脱退するよう勧告し、被申請金庫は申請人氏家、木村昌稔らを解雇する予定であると漏らした。

(六)  昭和三九年一〇月頃小森江支店長宮元一士らは、労組員向田満里子が入院加療の後復職するに際し、労組員のままでは復職が困難だから、従組に加入しなさいという旨の勧誘をした。

(七)  昭和三八、九年頃大里支店長林定吉は、労組員横井和江に対し従組加入を勧誘した。

右(五)の事実は被申請金庫がその掲げた本件解雇理由事実が何等発生していない昭和三九年三月当時既に申請人氏家を解雇する予定であつたことを窺わせるものであり、右各事実に、前記第二認定のように従組結成後労組員が減少の一途を辿り、一方従組員が増加の一途を辿つた結果を綜合すると、被申請金庫が管理職を動員して比較的弱い立場にある労組員に対し大がかりな労組切崩しを敢行していたことが推認される。

三、以上の事実に、前記第二認定の申請人両名の労組正副執行委員長としての活動および争議経緯ことに第三次争議が一年半以上を経過し泥沼闘争を続ける最中に本件解雇がなされたこと等を綜合すると、被申請金庫は申請人両名が労組正副執行委員長として正当な組合活動をした故に本件解雇に及んだものと認めざるをえない。したがつて、本件解雇は労働組合法第七条第一項に違反する不当労働行為として無効なものというべきである。

第五、被保全権利

以上検討したとおり、解雇権の濫用の主張について判断するまでもなく、本件解雇は不当労働行為として無効であるから、申請人両名は本件解雇に付された昭和四〇年一一月二〇日以降も被申請金庫と雇傭関係を継続していることとなる。

そして、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三号証の一ないし六によれば、本件解雇以降申請人両名は、就労を申し出ても被申請金庫から本件解雇を理由に就労を拒否されていたことが認められ、さらに、成立に争いない甲第一、第二号証、申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果によると、本件解雇当時申請人氏家、同小橋の税込み賃金は、それぞれ金三万四、二五九円(金三万四、二五一円は誤算。)、金五万五、六一二円を下らなかつたことが認められ、賃金が毎月二〇日支払われていたことは当事者間に争いがないから、申請人氏家、同小橋は、被申請金庫に対し昭和四〇年一二月一日以降各月二〇日にそれぞれ金三万四、二五一円、金五万五、六一二円を下らない賃金の支払を受くべき権利を有しているものというべきである。

第六、保全の必要性

前掲甲第一、第二号証、申請人小橋紀一、同氏家豊成の各本人尋問の結果によると、申請人両名はいずれも妻子を抱え、賃金を唯一の糧としていたところ、本件解雇以降長期にわたり右収入の途を断たれ、経済的に困窮していることを認めることができるので、地位保全および賃金支払の必要性があるものというべきである。

第七、結論

よつて、申請人両名の本件仮処分申請は、すべて理由があるから、保証を立てさせないで、これを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 矢頭直哉 弘重一明 村田達生)

(別紙)

就業規則(抄)

第二六条 金庫は従業員が次の各号の一に該当するときは解雇する。この場合、三〇日前に予告するか、又は平均賃金の三〇日分を支給する。

一、精神若しくは身体の障害によつて業務に堪えられないと認めたとき。

二、勤務成績不良にして向上の見込みがないとき。

三、已むを得ない事業上の都合によるとき。

四、その他前各号に準ずる理由があるとき。

第六八条 金庫は従業員に対し次の種類によつて懲戒する。

但し特に必要と認めたときは懲戒委員会に諮問することがある。

一、譴責   始末書をとり将来を戒める。

二、減給   始末書をとり一回につき平均賃金の半日分以内及びその総額に於て、当該支払期の総収入の一〇分の一以内の金額を減給する。

三、出勤停止 始末書をとり一四日以内で出勤を停止し、その間の賃金を支払わない。

四、降格   始末書をとり格を下げる。この場合降格による手当等の支給も当然これに伴い減額或は支給をしないことができる。

五、懲戒解雇 予告をしないで即時解雇する。この場合行政官庁の認定を受け予告手当を支給しない。

第六九条 従業員が次の各号の一に該当するときは譴責または減給に処する。

但し情状によつて出勤停止に処する。

一、第六条に定める服務規律に違反し、特にその情状が重いとき。

二、正当な理由なく無届欠勤をしたとき。

三、正当な理由なく無届けで遅刻、早退及び職場を離れたとき。

四、素行不良で勤務不熱心と認めたとき。

五、その他前各号に準ずる行為があつたとき。

第七〇条 従業員が次の各号の一に該当するときは、譴責または減給に処する。

但し情状によつては降格に処する。

一、所属長が業務上の怠慢または監督不行届によつて、懲戒処分該当者を部下の従業員から出したとき。

二、その他前号に準ずる行為があつたとき。

第七一条 従業員が次の各号の一に該当するときは、減給または出勤停止に処する。

但し情状によつて懲戒解雇に処する。

一、第七条の各号に該当したとき。

二、第八条に該当したとき。

三、第四四条の各号の一に該当し特にその情状の重いとき。

四、第四五条に違反し特にその情状の重いとき。

五、重要な経歴を詐り、その他不正な手段を用いて雇入れられ、または給与を受くるに当りその届出を偽つたとき。

六、故意または重大な過失によつて金庫の業務、金銭、物件その他に支障または損害を与えたとき。

七、正当な理由がなく、就業を拒んだとき、または異動に応じないとき。

八、その他前各号に準ずる行為があつたとき。

第七二条 従業員が次の各号の一に該当するときは、懲戒解雇に処する。

但し軽減することもある。

一、第七一条の各号に該当し特に情状の重いとき。

二、正当な理由なく無届欠勤が引続き七日以上に及んだとき。

三、金庫業務を阻害或は職場秩序をみだしたとき。

四、みだりに金庫の職制を中傷し、または誹謗したとき。

五、職務を利用して不都合な行為をしたとき。

六、刑事上の罪によつて訴追され、金庫の名誉並びに信用を失墜したとき。

七、出勤停止以上の懲戒が二回以上に及びなお改悛の見込みがないと認めたとき。

八、その他前各号に準ずる行為があつたとき。

第七三条 従業員が第六九条の譴責に該当する場合に於て、その行為が軽微であるか、特に情状酌量の余地があるか、または改悛の情が明らかであると認められたときは、譴責を免じて訓戒に止めることができる。

第七四条 従業員が懲戒に該当し、または該当する疑いのあるときは、懲戒処分が決定するまで出勤を差し止めることがある。

但しこの期間の賃金は支払らう。

第七五条 従業員が故意または重大な過失によつて、金庫の金銭、物件等に損害を及ぼしたときは、原則として損害に相当する額を弁償させる。

第七六条 懲戒処分の決定について不服のあるときは、本人の異議申立てにより弁明をさせ、または不服の申立てをさせる機会を与えることもある。

(別紙) ビラ目録一~九、立看板目録一~一四、新聞記事目録一~七、総代会文書目録一、二<省略>

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